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Home > こつこつマーケティングBLOG > 小田原北条氏滅亡に見る情報分析の大切さ
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2006年09月26日
文責:森高 浩(パワー・インタラクティブ マーケティングデータアナリスト)
現在、NHKの大河ドラマで「功名が辻」が放送されているが、大河ドラマはもう何年も習慣のように見ている。今月は上川隆也演じる山内一豊が小田原攻めの功により掛川城主5万石に出世をした。そう言い忘れていたが、私のブログのテーマは歴史の出来事をマーケティング視点で見ると何が見えるかをいった点で感じたことを書いてみようと思っている。
ちなみに小田原北条攻めとは1590年(天正18年)に豊臣秀吉が北条の居城小田原城を包囲し、北条氏政・氏直父子を降伏させた戦いのこと。この戦いの際、北条氏側は城中で和戦の意見が対立し、いたずらに日数を送ったことから広く衆議が一致せず物事の決定が長引くことを指し小田原評定といった諺が有名だ。
もともと北条氏はあの北条早雲に始まり、5代約百年にわたって関東に覇者を唱えた戦国大名である。北条早雲の登場はまさに下克上の先駆け、戦国時代の始まりであったが、無名の存在から謀略・奸智によって一国一城の主の座を奪った男のことを”梟雄”(きょうゆう)というが彼はその代表選手の一人である。また三代目の氏康は「名君」と呼ばれている。
さて北条攻めの前に秀吉から上洛せよとの命があったが氏政・氏直父子は悩んだ末それを黙殺した。怒った秀吉は詰問状を送って問いただしたのに対して時間稼ぎで叔父の氏規を京に派遣し時間稼ぎを図っている。参内した氏規は聚楽第の広間で畿内・中国・四国・九州の諸大名や皇族・公卿らが居並ぶなかで謁見をする。おそらくここで秀吉との力の差が歴然としていることを感じたのではないかと思う。秀吉との謁見が無事終わった後、氏規は京都見物をしているが京都の繁栄ぶりに驚いて小田原に戻り報告の中に「京都の商家は皆瓦葺きでした。小田原の商家は草葺きです。せめて人通りのある表通りだけでも板葺きにしないとみっともない」などといった報告をしている。
初めて上方に行った氏規は、関東に比べはるかに先進的な畿内の経済力のすごさに圧倒されることになるが、この程度の情報すら小田原に届いていなかったことにビックリしてしまう。これでは、秀吉がどの程度の人物なのか、秀吉の軍事力がいかに卓越しているかといった情報が小田原の氏政・氏直のところにも届いていなかったことも納得できる。
この理由の一つに当時太平洋海路があまり日本海海路に比べ遅れていた点もあるが、陸路も箱根が東海道の難所として立ちはだかっていたこともあるのではないかと思う。「箱根の山は天下の険…」と滝廉太郎の代表作の「箱根八里」を思い出すが箱根がまさに情報のボトルネックとなり天下の情勢をしっかり分析できなかったと考えられる。この情報分析の甘さが後に名胡桃城奪取事件を起こし小田原攻めの口実を与えてしまうことになる。
この小田原北条氏滅亡のプロセスは、情報収集にとって自然の障害となっていたネックをそのままにしていたつけが、情報分析不足となって北条氏の滅亡を早めたとも言える。このことはとりもなおさず、情報収集・分析が組織の存続にとって決定的な意味をもっていたことの裏返しではないだろうか。
私はマーケティングデータアナリストとして日々企業のマーケティングデータの分析を行っているが、ネット社会になりウェブ経由での情報収集がとても簡単にまた大量に得ることができるようになった。アクセスログ分析を行うと大量のデータと対面することになるし、ネット調査を実施すると数千件といった人に対して簡単に意見を聞くことができる。またネット社会になり外部環境の変化も早くなっているので、社会の変化をしっかり捉える必要があると思う。氏政・氏直父子は時代の趨勢を読み切れず滅亡に至ったが、現代においても日々企業間で激しく競争している中、情報収集・分析、そしてそこから見いだした数値をいかに読み解くかといったことの大切さや重要性の重さを感じずにはいられない。
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