世界で愛される大吟醸「獺祭」の味は、データ分析に支えられているという事実

山口県の山奥で造られる純米大吟醸「獺祭」は、欧米やアジア諸国でも愛される世界的な日本酒です。
実は「獺祭」は、杜氏を設けずにデジタルを導入した独特の製法を取っていることでも知られています。

デジタルを駆使した酒造りとは、どのようなものでしょうか。
また、なぜ日本酒という伝統的な製品にデジタルが取り入れられたのでしょうか。

サザビーズでは84万円で落札

獺祭は「山田錦」という銘柄の米で製造される大吟醸です。

その中でも、コンテストで優勝した限定品は2020年に「獺祭 最高を超える山田錦2019 年優勝米(英語名:Dassai Beyond the Beyond)」という名前でサザビーズオークションに出品され、1本約84万円という高値で落札されました*1

出品された「獺祭」

「世界に誇る日本の酒造り」と聞くと、さぞや熟練の杜氏による「経験豊かな匠の技」と思うかもしれませんが、獺祭の製造過程はそうではありません。

オフィスビルさながらの「酒蔵」

旭酒造が2015年に新しく建設した「酒蔵」は、山中におよそ似つかわしくない地上59メートルの建物です。日本経済新聞がその様子をカメラに収めています*2

そして、旭酒造がYouTubeチャンネルで公開している獺祭の製造過程は興味深いものです*3

近代的な工場の中で進む製造過程では、製麹や仕込などの現場にセンサーが取り付けられています。またビルの一室には「分析室」があり、壁一面に貼られた各種データの情報を評価する白衣姿の社員の姿も映し出されています。

センサーによる情報収集とデータ分析を駆使しているのです。

また、2018年には富士通と共同で日本酒醸造の流れを定義した数理モデルを構築、日本酒に含まれる成分の計測値を用いた機械学習を組み合わせて、醸造プロセスの最適化をはかる実証実験を始めています*4。ついに、銘酒造りにAIが登場する日が近づいているのです。

経営危機が大きなきっかけに

旭酒造がここまでのデータ製法を導入したのは、実は経営危機がきっかけです。

旭酒造が転換を迫られたのは1999年のことです。
酒造りを工夫しようとすればするほどコストがかかるため、大吟醸づくりの資金稼ぎをしようと地ビールレストランを開業したものの、大失敗に終わってしまったのです。 事業失敗の話が広がり、杜氏や蔵人たちに逃げられてしまったのです。

しかし旭酒造の桜井博志会長は、極限状態でひとつの気づきを得たと言います。

酒造りには杜氏制度が本当に必要なのかということだった。杜氏に逃げられてまず思ったのは、人件費が浮くと言うことだった。杜氏や蔵人の人件費は高い。仮に私と社員の力だけで酒を造ることができれば、人件費は5分の1程度に収まる。
(中略)
実は、杜氏の勘と経験に頼って不安定な酒を造り続けること、彼らの都合で冬場にしか酒を仕込めないことに疑問を感じたのは、それがはじめてではなかった。その数年前から自分たちだけで酒を仕込み始めて、精米歩合や吸水率などのデータを細かく取ってマニュアル化すれば、それなりの味を再現できることはわかっていた*5

人間の勘よりもデータのほうが忠実である。
これは、時期や人を選ばずに一定の品質を保たなければならない製造業全般に言えることかもしれません。

「熟練者の勘と経験」に関する研究

「勘と経験」について、ひとつの研究結果があります。2019年に理化学研究所と東京大学が共同で公表したものです。
「熟練の研究者の『勘と経験』を誰でも簡単に再現」という興味深いタイトルです*6

理化学分野では「単結晶」と呼ばれる結晶の構造解析には数千から数万個のデータを必要とするため、試料の選別や高精度の解析結果を効率良く得るための計測条件は、熟練研究者の勘と経験に委ねられていました。

しかし、勘を外してしまうと、長時間かけて計測したデータも有用なものにはなりません。勘というのは科学的に解明しにくいものですから、出た「結果」を見ても何が「原因」なのかはわからないものです。

一方でこの研究ではデータを活かすことで、逆に「結果」から「原因」を探る手法を採っています。つまり最初にどんな材料を使うかなど、正確性の高い構造解析に適切なアプローチを事前に推定可能にし、解析の効率化に成功したというものです。

また、近年は人事業務にAIを活用する企業が増えています。
「ピープルアナリティクス」と呼ばれる技術で、個人の能力や適性をデータ化し、適材適所を実現するというものです。

人間相手の仕事をデジタルに任せるのはいかがなものか、そう考える人もいらっしゃるかもしれません。しかし人材の多様性が進む中「人間が持つ無意識のバイアスにとらわれない」手法として重要性を増しているのです。

勘とはデータの蓄積である

さて、この研究ですが、先ほどの「獺祭」に通じるものがあるのではないでしょうか。

冷静に考えてみれば、「勘」は「経験」というデータから生まれたもの、と言うこともできます。
一方で「勘」は言語化して共有することが難しいものでもあります。一方でデータは揺るぎない数字として多くの人が共有可能です。

しかし、熟練者が全く不要になるのかとは言い切れませんが、製造業全般に「熟練工」が高齢化し技術の継承も難しくなっていく中で、旭酒造の桜井会長はこのようにも述べています。

幸いだったのは、メンバーが全員、酒造り未経験のど素人であったことだ。過去を知る人間が一人でも残っていたら、そのやり方に抵抗が生じていたであろう。素人集団だったので勘も経験も持ち合わせておらず、私の指導に頼らざるをえなかったという事情が、杜氏よりもはるかにうまい酒を生んだ。
最初から100点を目指さず、70点で合格だという気持ちで始めたことも、素人だけでやりきれた理由ではないか。新しいやり方で、すぐに満点を取るのは難しい。やりながら改良していけばいいという考え方が、伝統に囚われない挑戦へと繋がった。

<引用:「ハーバード・ビジネス・レビュー」2012年3月号 p90>

何か新しい技術を導入しようとするとき、過去のやりかたにとらわれすぎたり、シームレスな移行や急発展を求めすぎる企業が多いように感じます。それがDXの壁になっていることも少なくありません。
デジタル時代で重要なのは「結果=顧客に何を提供できるか」なのです。

新しい技術に馴染む必要性を感じながらも「頭の硬さ」や「過度な期待」のようなものがある場合、桜井会長が述べるように「最初から100点を目指さない」姿勢は必須です。

「どうやるか」ではなく「何をやりたいか」が先にあることは重要ですし、むしろ「何をやりたいか」がないとなると、それはDX時代では企業の危機とも言えるでしょう。

この記事を書いた人

清水沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元に関連メディアに寄稿。

*1:初挑戦したサザビーズオークション」旭酒造株式会社

*2:「最高の酒に杜氏はいらない 『獺祭』支えるITの技」日本経済新聞 2015年3月24日

*3:旭酒造 獺祭の造り方」旭酒造株式会社YouTubeチャンネル

*4:「ハーバード・ビジネス・レビュー」2021年3月号 p88-90

*5:引用:「ハーバード・ビジネス・レビュー」2021年3月号 p88-89

*6:熟練の研究者の『勘と経験』を誰でも簡単に再現 ~たった数分で単結晶構造解析の結果の事前評価が可能に~」理化学研究所・東京大学