「ブルシット・ジョブ」とは? ”どうでもいい仕事”はなぜ無くならないのか

「本当にこれ、必要なんですか?」 多くの人が、自分でもそう思ってしまうレベルの仕事に振り回された経験をお持ちのことでしょう。

そんな中、人類学者のデヴィッド・グレーバー氏が提唱したのが「ブルシット・ジョブ」という言葉で、近年話題になっています。
「ブルシット」には「不必要なもの」といった意味合いと「でたらめ、ほら吹き」といった意味合いがあります。これに、大阪府立大学の酒井隆史は「クソどうでもいい仕事」という日本語訳をつけました。

「ブルシット・ジョブ」「クソどうでもいい仕事」とはどのようなものでしょうか。このような仕事に苛まれることのない組織作りは可能なのでしょうか。

「クソどうでもいい仕事」の定義

グレーバー氏の著書「ブルシット・ジョブ」の冒頭に、このような光景が描かれています。グレーバー氏がある活動家のグループでメディア担当をしていたときのことです。

そのグループは、国際経済サミットに対する抗議の一環として、ワシントンDCの交通システムを停止させる市民的不服従の運動を計画しているとの噂が立っていた。サミット開催までの数日間、アナキストらしき人間とみなされると、上機嫌の公務員が近寄ってきて、月曜日に自分たちが仕事に行かなくてもよいというのは本当かどうかたずねてくるのであった。けれども時を同じくして、テレビの取材班は几帳面にも市役所職員たちが出勤できないのは悲しむべきであるとの言質を引き出していたのである——そのようなコメントをする者が先ほどの職員たちと同一人物であったとしても、わたしはおどろかなかっただろう。というのも、取材がテレビで使われるにはなにをいえばいいのか、かれらはよくわかっているからである。

<引用:デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」p2>

「仕事に間に合わなくて困ってます」。
台風や大雪などで交通ダイヤが乱れた翌朝には日本のテレビでもよく見られるお決まりのカットですが、放送に乗ったインタビュー人のうち、何人が本当にそう思っているか疑問です。
また、放送の裏側に、どれだけ「会社に行かなくて良くなったからラッキーです」「こんな台風の日に出社させるのはおかしいですよ」という人がいたことでしょう。

しかし、カメラの前でそれを口にする人はほとんどいません。

年間15億円の損失を生んでいる「ムダ会議」

パーソル総合研究所が2018年に、興味深い調査分析結果を公表しています*1

会議をムダだと思っている人の割合はメンバー層で23.3%、上司層で27.5%だということです。
それらの数値を用いて「ムダ会議」によって失われているリソースを計算すると、1万人規模の企業では人件費として15億円の損失が発生しているというのです(図1)。

図1 「ムダ会議」による人件費の損失 (出所:パーソル総合研究所・中原淳(2017-8)「長時間労働に関する実態調査(第一回・第二回共通)」)

参加している本人たちでさえムダだと思っている会議、その会議のために誰も読まない資料を丁寧に作成する仕事、コーヒーを手配する仕事…
ストレスすら感じていても、大半の人がそれを「ムダだからやめよう」とは口にしません。

グレーバー氏は「ブルシット・ジョブ」をこう定義しています。

最終的な実用的定義=ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完全に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。

<引用:デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論:P27-28」>

「ブルシット・ジョブ」の種類と従事人数

異論もあることでしょうが、グレーバー氏はブルシット・ジョブは5つに分類できるといいます。

  1. 取り巻き=誰かを偉そうにみせたり、だれかに偉そうな気分を味わわせるという、ただそれだけのために(あるいはそれを主な理由として)存在している仕事
  2. 脅し屋の仕事=肩書きや行動によって他者を脅かすが、雇用主に自分の存在を全面的に依存している仕事
  3. 尻拭いの仕事=組織に欠陥があるために、その穴埋めだけのために存在している仕事
  4. 書類穴埋め人の仕事=誰も真剣に読まない書類を延々と作る人
  5. タスクマスターの仕事=もっぱら他人への仕事の割り当てだけからなる仕事

自分、あるいは自分の部下にこういった仕事をさせている、あるいは自分の上司は上記のような状態であるという人は、その組織の欠陥を疑う必要があります。

筆者もこうした状態にある人々を見かけたことがあります。
ため息をつきながら会議に出かけていく上司。お腹が減ったと言いながら、定時を過ぎてもなんとなく自分が真っ先に帰るのは気が引けるという意味でダラダラと会社で新聞を読んでいる人たち。

あるいは、筆者自身もブルシット・ジョブを強いられたことがあります。
内輪の定例会議だけのために、出席者ひとりひとりが好む飲み物を把握して出すという仕事です。
それでなくとも異動直後は人の顔を覚えることでいっぱいいっぱいです。お客様ではないのだから、飲み物くらい自分で持ってくれば良いのにムダな記憶力を使わされているのです。

なお、世界で世論調査を実施しているYouGovの調査では、イギリスの労働者の全体のうち、みずからの仕事になんの意味もないと感じていたのは三十七%、オランダに至っては四十%にのぼったということです*2

「ナマコでも捕りに行かせたら・・・」

本人すら無意味でムダだと思っている仕事が、組織にとって無意味でもムダではないということはあまり考えられません。
思い浮かぶのは、「君の仕事は決してムダなんかではないんだよ」と、優しく(あるいは優しいフリをして)諭す上司の姿くらいです。

こうした状況は、個人だけでなく組織にとっても不幸なことではないでしょうか。組織からすれば、「ムダ金」をはたいているということになるのです。
奇しくもコロナ禍によるテレワークへの移行は、「ムダ通勤」の存在を暴いてしまいました。
また、「令和の大リストラ」は、多くの大企業が「負債人材」を抱えていたことを明かしました。

ところで、人材については京大の酒井敏教授が「なまこ理論」というものを展開しています。

例えば、10人でお米を作っていたとしましょう。これを一生懸命効率化して5人で作れるようになった。5人で作れるようになったこと自体は素晴らしいことですが、問題は余った5人も一生懸命米を作ると、20人分できちゃう。余ってしまうから売れない。もっと安くしないと売れないので、どんどん値下げをしていきます。そうするとまた売れなくなってくるので、もっと効率化して3人で作るようになると。これはもう悪循環です。

そこで酒井教授はこう提案します。

そもそも余った5人が米を作るからいけないので、余った5人は米なんて作らず、海にでも遊びに行って、なまこでも取ってこい。あれが食えることを発見した人は偉いんでしょ。それでなまこを取ってきてですね、真面目に米を作っている人に、お米だけだと寂しいですよねと、これうまいんですよと言って高い金で、高い金でっていうのがポイントなんだけども、売りつけて、そのお金でお米を買って、初めて経済が回るわけなんですよ。だから米を作ってはいけない。

ブルシット・ジョブで人も組織も疲弊するくらいなら、なまこを見つけるために自由に外に放ったほうがいいという理論です。

2017年に、3年以内に300万時間以上、約1500人分以上の業務量を削減する方針を発表したSMBCフィナンシャルグループは、2019年末で約10万3000人だった従業員数を2022年度末には9万6000人まで削減できる見通しが立っているといいます*3

では、この1万5000人をどうするのか。

SMBCグループでは全従業員を対象にしたデジタル教育を開始しました。

この研修は強制ではありませんが、約2万人が受講していると言います。
DXに従事して生き残ろうとする従業員も多いことでしょう。

この研修の受講者全員がブルシット・ジョブに従事していたというわけではないでしょうが、負債人材の解消に役立つことは明らかです。

ブルシット・ジョブを発見し解消していく努力は、個人にとっても企業の持続にとっても、持続のために重要な意味を持ちます。

この記事を書いた人

清水沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元に関連メディアに寄稿。