Appleは2021年6月、前年の2020年に「App Storeエコシステム」が前年比24%増の6,430億ドルに事業売上を伸ばしたと発表しました。*1
「App Storeエコシステム」を形成するデベロッパのうち、小規模事業者が占める割合は90パーセント以上。
このエコシステムビルダーであるアップルが小規模事業者を支援し、それらの小規模デベロッパがコロナ禍の様々な課題に対処して、新たなイノベーションを産み出し、顧客エンゲージメントを高めるとともに莫大な収益を上げたのです。
ビジネス・エコシステムとは、業種や業界を越えて複数の企業がパートナーシップを組む共栄・共存の関係です。その目的は、社会や顧客の課題にパートナーとともに取り組むことによって、より多くのソリューションを見出すこと。
現在、特に注目されているのは、デジタルプラットフォームを基に形成されたエコシステムで、顧客にも企業にもさまざまな利益をもたらすことが実証されています。
いくつかの事例を通して、ビジネス・エコシステムの有用性と最近の動向をみていきましょう。
ビジネス・エコシステムの事例
まず、事例をみていきます。
ゲーム業界に鮮やかに参入したソニー
少し古い事例ですが、30代後半以上の読者にはなじみ深い話題かもしれません。
ソニーがプレイステーションを引っさげて、鮮やかにゲーム業界に参入したときの話です。
かつてソニーが開発したβマックの家庭用ビデオはVHSに完敗しました。*2
しかし、その後、ソニーはゲーム業界での絶対的な王者を破り、大成功をおさめました。
その要因の1つが独自のエコシステムの形成です。
一方、ゲーム業界で絶対的な地位を築いていた競合企業は、個別利益に固執したためエコシステムを自壊させ、敗北しました。
具体的にみていきましょう。
1994年、ソニーは子会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、当時)を通じて、任天堂の「スーパーファミコン」より高性能の「プレイステーション」を発売しました。また、同年、セガも高性能の「セガサターン」を発売しました。
1990年代半ばになると競争は激化し、任天堂は「プレイステーション」や「セガサターン」より高性能でしかも低価格の「NINTENDO64」を発売しました。
ここでとった戦略は2つ。最も低いコストを強みに競争上の優位を獲得する「コスト・リーダーシップ戦略」と、他者より優れた独自性を強みとする「差別化戦略」です。
その結果、ゲーム業界の競争はどうなったのでしょうか。
以下の表1から表3は、1980年代から1990年代半ばまでのゲーム業界における競争状況をまとめたものです。
その結果、売上を伸ばし続けたのは、SCEのプレイステーションだけでした。
なぜ、SCEは成功をおさめることができたのでしょうか。
当時のゲーム業界は、ハードウエアを販売する企業とソフト開発をする企業、ソフト販売をする企業とユーザーが図1のような関係性のもとに取り引きしていました。
ゲーム業界は、ハード会社が単独で生存しているのではなく、ハード会社を中心とするビジネス・エコシステムを形成していたのです。
SCEの戦略はこうでした。
ソフト会社との取り引きでは、「ライブラリー」と呼ばれるソフト開発に必要なプログラムを一般に公開しました。
このプログラムを使えば、誰でもソフトが作れたため、SCEとの取り引きコストは大幅に節約され、小規模なソフト会社もSCEのソフト制作に自由に参加することができました。
また、ユーザーの需要の変化に対応するために、生産が簡単で低コストのCD-ROMを採用しました。そのため、ソフト会社も生産費や在庫リスクなどの取り引きコストを節約することができました。
すると、劇的なことが起こりました。
SCEの競合企業の支配下で開発を担っていた大手ソフト会社が、次々と自発的にSCEとの取り引きを開始したのです。それは、SCEの競合会社との取り引きで強いられていた膨大なコストを回避するためでした。
SCEはユーザーとも良好な関係を築いていきます。
CD-ROMの採用に加え、それまでに蓄積されたレコードやCDの販売ノウハウを生かし、問屋を通さずに直接仕入れて直売する「仕入れ販売」を導入したのです。
こうした戦略によって、ユーザーはタイムリーに安価なソフトを購入することができるようになりました。
さらに、SCEはゲーム機のデザインにもこだわり、両手でつかむ立体的なグリップ型コントローラーを採用します。それがユーザーの心を掴みました。
しかも、販売店マージンは、当時の常識であった10%をはるかに超えるものでした。販売店が積極的にSCEの商品を販売したのは、当然の成りゆきでした。
こうして、SCEが中心となって、パートナー企業や販売店との独自のエコシステムが形成されました。それが、顧客エンゲージメントの強化につながり、その後、競合会社がプレイステーションより高性能な商品を売り出しても、勝ち続けることができたのです。
スマートホーム・エコシステムの一端を担う照明機器メーカー
次にご紹介するのは、オランダを拠点とする照明機器メーカー、シグニファイです。*3
シグニファイはヘルスケア製品や医療機器を製造するフィリップスを母体とする企業です。
最近の照明はLEDが主流ですが、LEDランプは寿命が約4万時間と長いため、買い替えサイクルが延び、減収は避けられない状況でした。
また、照明器具は製品の差別化が難しいという問題もあります。
こうした状況の中、シグ二ファイは2012年に他社に先がけて世界初の家庭用パーソナルワイヤレス照明・Hue(ヒュー)を発売しました(図2)。
Hueは、スマホやスマートスピーカーなどの各種デバイスやサービスと接続して使うことができます。Hueのアプリを使えば、スマホやタブレットから、照明のオン・オフや調光、色合いを操作することができるのです。
それは、グーグルやアマゾン、アップル、サムスン電子など、20~30社とエコシステムを形成しているからこそ提供できる製品、サービスです。
1社ではなく、多くの企業の製品と接続可能なことがユーザーの生活の質を向上させ、それが顧客エンゲージメントを高めています。
このように、多くの企業とのエコシステムによって、シグニファイは「スマートなライト体験による豊かな生活の実現」という自社のビジョンを実現しているのです。
社会や顧客にメリットをもたらすビジネス・エコシステムの形成
ビジネス・エコシステム形成のメリット
ここで、ビジネス・エコシステムのメリットを整理してみましょう。
現在、社会や企業が抱えている課題は複雑化しています。
そうした課題を解決するためには、複数の人々や企業と協力するほうがいい結果に結びつきます。
先にみた事例が示しているように、エコシステムを形成すれば、自社が提供する製品やサービスをパートナー企業の製品・サービスが補完してくれます。
また、パートナーが増えると、パートナー間で健全な競争が働き、サービスの質はさらに高まり、エコシステム全体が提供するサービスの価値が高まります。
その結果、顧客が増え、エコシステム全体の収益も増大するという好循環に入ることができます。
適切にエコシステムが形成された企業の利益は、業界平均を20%上回り、株価も2017年以降、ナスダック総合指数を大幅に上回り続けています。
特にプラットホームを基盤としたエコシステムには、次のような優れた特徴があります。
- 工場建設などの大規模な設備投資が不要
- サービスのすり合わせに必要な時間が短縮される
- 業界内の商慣習などに関わるコストが低減する
- 異業種からも参入しやすく、パートナーが短時間で多く集まる
- 地理的な制約がなく、世界市場への拡大が可能
デジタルプラットフォーマーに基づくエコシステムの形態
デジタルプラットフォーマーを基盤にしたエコシステムの代表的な形態は「ソリューション提供型」と「マッチング型」の2つです(図3)。*4
図3の左側の「ソリューション提供型」はエコシステムを形成する中心企業(エコシステムビルダー)が提供するサービスに対して、エコシステムパートナーが追加機能やコンテンツを提供し、顧客に対する価値を高めるモデルです。
このモデルはBtoBビジネスで、自社以外の企業とともに、より多くの課題解決に取り組むために形成することが多いタイプです。
エコシステムビルダーにはパートナーのサービスをまとめることや、顧客体験や課題解決力を高めること、顧客獲得力が求められます。
冒頭の「App Storeエコシステム」や先ほどみたソニー、シグニファイの事例はこのタイプです。
一方、「マッチング型」は、需要と供給をマッチングするビジネスモデルで、BtoCのビジネスに用いられることが多く、メルカリやUberなどがこれにあたります。 より多くのマッチングを産むためには、需要と供給ともに多くの参加者が必要です。
このモデルの場合、エコシステムビルダーに求められるのは、取り引きを正常化し、参加者の公平性を担保するためのガバナンスです。
例えば、マーケットプレ―スでは、不正な出品の監視や排除、被害を被った利用者への補償、情報セキュリティ対策などが必要です。
日本企業における取り組み状況
最後に、日本でのビジネス・エコシステム形成の状況をみてみましょう。*5
ある調査によると、「自社がデジタル・プラットフォーマーである」と答えたのは12.5%、「デジタル・プラットフォーマーと対等な関係で連携・協業し、事業を展開している」と回答したのは16.3%ですが、5年後の目標はそれぞれ24.4%と49.4%で、約12%増、33%増を目指していることがわかります。
このことから、日本企業のビジネス・エコシステム形成への高い意欲が窺えます。
これまでみてきたように、ビジネス・エコシステムにはさまざまなメリットがあり、多くの成功事例もあります。
自社単独の利益に囚われずに、パートナー企業と共存・共栄の関係を築く。すると、そのことによって多くの課題が解決し、顧客エンゲージメントが高まる。そして、結果として収益も増加する―ビジネス・エコシステムは、豊かな実りをもたらす戦略なのです。
*1:アップル(2021)コロナ禍の課題に対応したAppleのデベロッパ、2020年にApp Store経済圏からの売上は24パーセント増の6430億ドルに成長
*2:菊澤研宗(2019)『成功する日本企業には「共通の本質」がある ダイナミック・ケイパビリティの経営学』朝日新聞出版(電子書籍版)p.51-59、p.66-69
※p.56とp.58は欠落していますが、もともと電子書籍のページ番号がそうなっており、内容的には連続しています。
*3:野村総合研究所(2021)「デジタルを梃子にした事業変容 ビジネスエコシステムの作り方」pp.14-16、pp.7-9
*4:野村総合研究所(2021)「デジタルを梃子にした事業変容 ビジネスエコシステムの作り方」pp.14-16、pp.7-9
*5:日本情報システム・ユーザー協会、野村総研(2020)「デジタル化の取り組みに関する調査 ―デジタルビジネスに関する共同調査―<デジタル化はどのように進展しているか>」p.27