「何を売るかにかかわらず、企業は優れた体験を提供すれば勝者になれる」*1
「企業はもっとCXに投資したほうがよい」
世界4大会計事務所の一つであり、巨大コンサルティングファームPwCの見解です。
CX(Customer Experience:顧客体験)は企業実績にダイレクトに反映します。
そのため、PwCは企業の成功を測る指標として、これまでのROI(投資効果)に加えてCXに着目した指標を導入し、それに基づいて評価すべきだとまで述べています。
それを裏付けるように、素晴らしいCXのためなら上乗せ料金を払ってもいいと考える顧客が増加しているという調査結果もあります。*2
CXというコンセプト自体は20年以上前に提唱されたもので、新しい考えというわけではありませんが、現在のようなDX時代においてはそれにふさわしい捉え方やCXを高めるための戦略があります。
そこで注目すべきは、人間とマシンの協働関係。しかも双方の役割は同等であるべきだと専門家は言います。
それはどういうことなのでしょうか。
CXの重要性
CXの基になる概念は1998年に提唱されました。*3
製品やサービスがイノベーションの手段だった時代を経て、やがてコモデティ化という問題に直面します。
市場に出たときには高付加価値だった製品・サービスが、他社の参入によって一般化して差がなくなり、区別がつかなくなってしまうのです。
そのため、競争に勝つためには戦略をアップグレードする必要があり、企業は次のステップ、つまり体験に移行しなければならないという主張です。
この考えはデジタル化が進展するとともに大きな支持を得るようになりました。
なぜなら、インターネットによって、顧客は製品・サービスを比較することが容易になり、コモディティ化が以前より早く生じるようになったからです。
したがって、競争に勝つためのカギは、製品・サービス自体にあるのではなく、顧客が製品・サービスをどのように評価し、購入し、使用し、推奨するかだ―そう述べているのは、マーケティング学を牽引するフィリップ・コトラー博士です。
PwCの調査では、顧客の75%弱が素晴らしいCXは自分をブランドに繋ぎとめると考え、よりよいCXのためなら、最高で16%の上乗せ料金を払ってもいいと答えています。
CXは現在、企業がより大きな顧客価値を産み出し、提供するための効果的な方法になっているのです。
ただし、CXは購入体験や顧客サービスだけを意味するものではありません。それは、顧客が製品を購入するずっと前から始まり、購入後もずっと続くものです。
CXは、たとえば、ブランド・コミュニケーション(ブランドの価値観を消費者に浸透させるためのブランディング活動)や小売体験、販売員とのインタラクション、製品の使用、顧客サービス、他の客との会話までをも含みます。
したがって、顧客にとって意味があり、しかも忘れがたいシームレスなCXを提供するためには、企業は顧客が製品に触れる可能性のあるすべてのタッチポイント(ブランドと顧客との接点)を統合する必要があります。
そして、そのための枠組みとして大変有益なのが、デジタル時代の新たなカスタマー・ジャーニーです。
DX時代のカスタマー・ジャーニーとタッチポイント
5Aからなる新たなカスタマー・ジャーニー
コトラー博士が提唱するのは、顧客がデジタル世界で、製品・サービスを購入・消費する道筋を旅に喩えたカスタマー・ジャーニーのマッピングです(図1)。*4
図1のように5Aからなるカスタマ―・ジャーニーはすべての産業に当てはまる柔軟なツールです。 その5Aを順にみていきましょう。
- 認知段階:顧客は体験やブランド・コミュニケーションや他者の推奨によってたくさんのブランドを知る。
- 訴求段階:顧客は自分が得た情報を整理し、少数のブランドだけに引きつけられるようになる。
- 調査段階:顧客は好奇心にかられて、自分が引きつけられたブランドについて積極的に調べ、友人や家族、メディア、ブランドから追加の情報を得ようとする。
- 行動段階:顧客はブランドの製品・サービスを購入する。
- 推奨段階:顧客は購入後、消費や使用、アフターサービスを通じてブランドに更に深く接し、そのブランドに対するロイヤリティ意識を育み、リピーターとなり、他者への推奨に進む。
あらゆる企業の究極目標は、顧客を認知から推奨まで進ませることです。 そのためには、企業はそれぞれのタッチポイントを入念に設計しなければなりません。
ハイブリッドのカスタマー・ジャーニー
新たなCXの価値を高めるためには人間とマシンの両方が同等に必要です。*5 なぜでしょうか。
ある調査によると、グローバルな顧客の44%がウェブルーミング(オンラインで調べて店舗で買うこと)を、23%がショールーミング(店舗で体験してオンラインで書くこと)を採用しています。
また、東京を含むアジアの主要10都市を対象にした調査では、その割合がより高いことが分かっています(図2)。*6
さらに、同調査では、顧客が製品のカテゴリーによってウェブルーミングとショールーミングを使い分けていることが明らかにされています(図3)。
図3からアジアの各都市では実店舗とオンラインを自在に行き来する、いわゆる「オムニチャネルショッピング」が顕著であることがわかります。
ただし、東京はアジアの中では特殊で、オムニチャネルショッピングの割合が9都市平均の半分にも及びませんが、それでもショールーミングのみ、ウェブルーミングのみを加えると84%に上ります。
日本のカスタマー・ジャーニーもオンライン・オフラインのハイブリッド型なのです。
新たなCXの価値を高める人間とマシンの協働
人間とマシンの補完関係と協働
ハイブリッドのカスタマージャーニーにおいては、当然、CXもハイブリッドになります。したがって、その価値を高めるためには、ハイテクとハイタッチ(人間らしい交流)を兼ね備えたアプローチが必要です。*7
そして、そのアプローチでは、人間の役割とマシンの役割が同等に重要です。
なぜなら、人間とマシンは得意分野が異なると同時に補完し合う関係だからです(図4)。
例として、図4にある、人間の拡散的思考とマシンの収斂的思考による協働を考えてみましょう。
たとえば広告分野では、この協働は非常に大きなポテンシャルを秘めています。
コンピュータは何百万件もの広告を読み込み、色やスキーム、コピー、レイアウトなどの基本的特徴と、効果(認知レベル、感情訴求力、購買率)との相関関係を見つけ出します。
一方、人間は共感を呼ぶブランド・ポジショニングを作成し、それを適切なメッセージに変換する役割を担います。
コンピュータは、その際、よりよい言葉や色、レイアウトを選び、広告を最適化する手助けをするのです。
顧客インターフェイスにおいても、協働は有益です。
人間とのインタラクションはコストが高いため、一般には有望な見込み客や重要な顧客に対して適用されます。
一方、マシンはその見込み客を絞り込んだり、高コストの対応をする必要がない顧客に接する役割を担います。
たとえば、あるソフトウェア会社では、自社の最上層から中間層に当たる見込み客にはチャットボットを使っていますが、その中で有望な見込み客に対する相談販売では人間の販売部隊を、オンボーディング(自社のサービスの新たなユーザーになった顧客に対して、そのサービスから得られる満足度を高め、継続的な利用を促すための活動)のためにはハイタッチのチームを任命し、販売後の簡単な質問には再びチャットボットを使っています。
このようにセグメントを分けることで、企業はコストをコントロールしつつリスク管理をすることができるのです。
これらの例が示しているように、マシンによる自動化で何を提供することができるか、ヒューマンタッチによって何が提供できるかを理解するのは、ハイブリッドのオムニチャネル顧客体験をデザインするための重要な第一歩です。
ネクスト・テクノロジーの活用
認知から推奨までのすべてのタッチポイントで、感動的で優れたCXを産み出すためには、ネクスト・テクノロジーの活用が欠かせません。*8
人とマシンの協働をフル活用するために、これからのマーケターはマーケティング・テクノロジー(マーテック)について実践的な知識を持つ必要があるとコトラー博士は説きます。
しかし、すべてのテクノロジーが企業戦略に合致するとは限りません。
そのため、どの技術をどのタッチポイントで使うのか―その決定は重要です。
ここで有益な基盤となるのが、図1でみたカスタマー・ジャーニーです。
5Aからなるカスタマー・ジャーニーは、人とマシンをどのようにCXに統合すべきかを理解するのに、大変役立ちます。
下の図5は、新たなCXの統合に向けたネクスト・テクノロジーの使用例を、7つのタッチポイント別に示したものです。
特定のターゲット市場に関する分析と知見、広告枠の購入や価格設定、販売予測・製品推奨・顧客離脱の予測、製品・サービスの大規模かつ迅速なパーソナライズ―ネクスト・テクノロジーはマーケターに多くの恩恵をもたらします。
しかし、一方で、ヒューマンタッチも知恵と柔軟性と共感をもたらすため、大変重要です。
人間とマシンが同等に協働することによってこそ、新たなCXの価値を高めることができるのです。
次世代のマーケターが取り組むべきこと
これまでみてきたように、CXは競争の激しい市場を制する新たな戦略です。
そして、その戦略を遂行するためには人間とマシンの協働が不可欠です。
「マシンが人間にとって代わる」という考えを捨て、人間とコンピュータの共存を目指せば、ほとんどのタッチポイントでお互いの強みを生かすことができると、コトラー博士は述べています。*9
次世代のマーケターはこうした知見をふまえ、人間とマシンの協働をどのタッチポイントでどう生かしていくのかに注力する必要があるのです。
*1:Price waterhouse Coopers「今必要なのは、消費者中心の指標:「体験からのリターン」消費者意識調査2019」p.2、p.15
*2:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)pp.184-188、p.183、p.198、pp.195-198、pp.208-210
*3:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)pp.184-188、p.183、p.198、pp.195-198、pp.208-210
*4:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)pp.184-188、p.183、p.198、pp.195-198、pp.208-210
*5:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)pp.184-188、p.183、p.198、pp.195-198、pp.208-210
*6:トランスコスモス(2019)「トランスコスモス、「アジア10都市オンラインショッピング利用動向調査2019」結果を発表 ショールーミングとウェブルーミングが「あたりまえ」のアジア都市」
*7:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)pp.184-188、p.183、p.198、pp.195-198、pp.208-210
*8:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)pp.184-188、p.183、p.198、pp.195-198、pp.208-210
*9:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)pp.184-188、p.183、p.198、pp.195-198、pp.208-210