
2×2のマトリクスをお使いになったことがあるでしょうか。
マトリクスといえば、スティーブ・ジョブスが経営不振にあえぐApple社に戻ったときのエピソードが有名です*1。
当時はマックだけでも10種類以上あり、スタッフでさえそれぞれの特徴が把握できていないような状況でした。
ジョブズは早速モデルや製品の絞り込みに取りかかります。
全社的な製品戦略会議でのこと。
彼はホワイトボードに歩み寄ると、大きく「田」の字を書きます。
2×2のマトリクスです。
そして、升目の上に、「消費者」「プロ」、升目の左側に「デスクトップ」「ポータブル」と書き込みました。
「我々が必要としているのは、これだけだ」と。
その4つの分野ごとに1つずつ、全部で4種類のすごい製品を作れ、それが君たちの仕事だと宣言したのです。
その場はシーンと静まり返ったといいますが、マトリクスの効果は絶大でした。
多くの社員が、その一瞬で、目指すべきことを認識することができたからです。
2×2の「田」の字型マトリクスは、「四象限マトリクス」と呼ばれます。
本記事では、その四象限マトリクスを使って、デジタル化戦略に不可欠な「デジタル化への準備度」を自社目線で評価する方法をご紹介します。
デジタル化戦略に欠かせない「デジタル化準備度」の評価
コロナ禍でデジタル化が急加速しました。
Zoomでのビデオ会議、オンライン・ショッピング、フードデリバリー、ネット・バンキングやキャッシュレス決済、YouTubeやネトフリによる動画視聴・・・。
ステイホームを強いられた顧客は、新しいライフスタイルに慣れ、企業も戦略を見直してデジタル化への取り組みを強化しています。
そこであらわになったのが、デジタル化をめぐる格差です。
現在、デジタル化に大きな影響を与えているのは、いわゆるY世代とZ世代を合わせたデジタル・ネイティブと呼ばれる世代です。
経済産業省の定義によると、彼らは1980年から2012年に生まれた世代で*2、そのうち15歳以上は、2021年10月1日時点で3,524万7千人、生産年齢人口のうち最も多くの人数を占める世代です*3。
デジタルに精通した彼らは、顧客としても社員としても大きな影響力を及ぼす存在で、企業も彼らに照準を合わせた戦略を練っています。
一方、デジタルに疎い人々やインターネットにアクセスしにくい顧客層、直接的なインタラクションが必要な労働集約型の産業は、急進展したデジタル化によって大きな打撃を受けました。
このように、デジタル化が進むにつれ、深刻な打撃を受けた顧客層・産業と、軽い打撃ですんだ顧客層・産業との格差が拡大しました。
しかし、急速なデジタル化の流れは今後も留まることなく進展していくだろうと、マーケティング学の権威であるフィリップ・コトラー博士は推測しています*4。
国内企業を対象にした調査でも、「ニューノーマル時代に向けた取り組み」として「顧客接点でのデジタル活用の拡大(Web、アプリ、AR/VR、IoT、AIなど)」を既に実施している企業は18%、現在検討中/検討予定、あるいは準備中であるという回答は46%に上っています*5。
こうした状況の中、デジタル化戦略を立てるにあたっては、顧客側と産業側の両サイドが、どの程度デジタル化への準備を進めているのかを把握する必要があります。
そして、そのために、準備度を評価するための診断ツールを確立することが不可欠なのです*6。
四象限マトリクス上のマッピング
コトラー博士らによる『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 に沿って、四象限マトリクスを使った評価方法をみていきましょう*7。
デジタル化への準備を評価するためには、次の2つのステップが必要です。
- 顧客の準備度を判定すること:顧客はよりデジタルなタッチポイントに移行する準備ができているか、またその意思があるか
- 自社の能力を評価すること:ビジネスプロセスをデジタル化して、次世代型プラットフォームやシステムへと移行するだけの能力が自社にあるか
この2点を検討することで、デジタル化への準備度を示す四象限マトリクスに自社のポジションをマッピングします。
では、そのマトリクスとはどのようなものでしょうか(図1)。
このマトリクスはコトラー博士が作成したものです。 横軸は顧客の準備度で、右にいくほど準備が進んでいることを表します。縦軸は企業の準備度で、上にいくほど準備が進んでいることを表します。
6つの産業のマッピング
マトリクス上には、この4つの象限を説明するために、ハイテク、金融サービス、食品小売り、自動車、ホスピタリティ、ヘルスケアの6つの産業部門がマッピングしてあります。
ただし、図1のマッピングは絶対的・固定的なものではありません。
作成時におけるアメリカでの状況に基づいているため、アメリカの市場変化によって変わる可能性がありますし、アメリカ以外の市場では当てはまらない部分があるかもしれません。
また、同じ産業分野でも企業によって準備度は異なるでしょう。
それを押さえた上で、マトリクスをみてみましょう。
マトリクスをみると、6つの産業の中で、企業の準備度が最も進んでいる産業はハイテク、逆に最も準備が進んでいないのはヘルスケアであることが見てとれます。
それは日本での状況と整合しているのでしょうか。
次の図2は、日本の企業を対象とした調査結果で、DXへの取り組み状況を業種別に表しています。
この図から、マトリクス上の「ハイテク」に相当する「情報通信業」、「金融業、保険業」ではDXの取り組みが進んでいることが分かります。 一方、取り組みが遅れているのは、「ヘルスケア」に相当する「医療、福祉」や「ホスピタリティ」(接客によるサービス業)に相当する「宿泊業、飲食サービス業」「生活関連サービス業、娯楽業」で、これらについてはマトリクスと図2は合致します。
ただ、「小売」に関しては図2で「卸売業、小売業」となっているため、小売業単独の状況は判然としません。
「自動車」も図2にはみあたりませんが、後ほど別の資料で確認したいと思います。
マトリクスの4つの象限
それぞれの象限についてみていきましょう。
オリジン象限
この象眼に入るのは、コロナ禍で最も深刻な打撃を受けた産業、例えばホスピタリティ産業やヘルスケア産業です*8。
これらの産業には、人と人の物理的なインタラクションがかなりの割合で含まれていて、それを廃止することが難しいという特徴があります。
ホスピタリティ部門では、一部のプレイヤーによってロボットやIoTを活用する試みもあり
ますが、現時点では顧客の反応はあまりいいとはいえません。
ヘルスケア業界もそれと似通っています。AIが医療自体を変革する可能性はあるものの、医療は従来どおり対面で行われていて、今後、遠隔医療が進んでいくかどうかは不明です。
オンワード象限
この象限に入るのは、ビジネスプロセスの大幅なデジタル化に投資してきたのにもかかわらず、顧客を移行させるのに苦労している産業や企業です*9。
例えば小売業では、企業側はデジタル化を進め、eコマース投資を増やして顧客にデジタル化への移行を促してきましたが、顧客はまだこれまでの慣習にとらわれていてデジタル化への移行は限定的です。
ここで、物販系分野のeコマースに関する調査結果をみてみましょう(図3)*10。
図3のように日本の物販系分野では、市場規模は年々拡大しているものの、eコマース化率は2020年時点で約8%に留まっています。
ちなみに、同年のBtoBの市場規模は334兆9,106 億円で、eコマース化率は33.5%でした。
小売業界の企業は、現状をしっかりモニターし、コロナ禍がeコマースに向けての十分な促進剤になるか見極める必要があります*11。
オーガニック象限
この象限に入るのは、主に物理的タッチポイントで製品・サービスを提供する産業です*12。
これらの産業は、たいてい労働集約的でもあるので、労働者を遠隔管理することも難しいのですが、一方で、顧客の方はデジタルに移行する準備ができていると分析されています。
したがって、今後は顧客のニーズに後押しされてデジタル化が進んでいく可能性もあります。
例えば、自動車産業がこれに当たります。
アメリカでは車を買う人の95%が主な情報はオンラインで集めていますが、購入の95%は以前としてディーラーの店舗で発生しています。
ただし、コロナ禍でオンラインでの自動車購入が進みました。
日本でも、自動車メーカー各社が、販売店での対面による車の売り方を見直し、オンラインでの商談や販売への強化に取り組み始めています*13。
また、購入のオンライン化ばかりでなく、例えばVRによる試乗、データ活用による車両メンテナンスや安全監視などの追加機能の提供なども重要な要素です*14。
オムニ象限
ここに至るのが企業の最終目標です*15。
該当するのは、ハイテク産業や金融産業。
ハイテク産業は以前からデジタル化によって従来型の産業の破壊を目指してきました。その結果、コロナ禍でも比較的軽い打撃を受けるだけですみました。
銀行もコロナ禍のずっと前から顧客をデジタル・チャネルに移行させてきました。
大手銀行はすべてネット・バンキングサービスを行っています。
ただし、日本はキャッシュレス決済はあまり進んでおらず、2020年に29.7% *16と、まだまだ進展の余地があります *17。
経済産業省が2021年に全業種の事業者を対象に行ったアンケート調査によると、回答した1,189社のうちキャッシュレスを導入しているのは72%でした*18。
一方、キャッシュレス決済の導入比率が相対的に低い業種では、「顧客からの要望がない」「導入のメリットが不明」などの回答割合が高かったと報告されています。
こうした状況に対して、金融業界はどのような戦略を立てるのかという課題もみえてきます。
自社の自己評価のための基準
これまで図1のマトリクスを基に、それぞれの象限について概観してきましたが、前述のとおり、同じ産業であっても企業によって準備度が異なります。
各企業は、自社のデジタル化のポテンシャルと自社の顧客がデジタル・チャネルにどの程度移行したいと思っているのかを基準にして、自己評価を行うことが大切です*19。
以下の表1と表2は、自己評価の基準をまとめたものです。
以上のような基準に照らしてデジタル化への準備度を正しく評価し、マトリクス上にマッピングする。そして、そのマトリクスを社内で共有することは、これからますます重要度を増すデジタル化戦略を練る上で不可欠なプロセスです。
*1:ウォルター・アイザックソン 著 井口耕一 訳(2011)『スティーブ・ジョブズⅠ』 講談社(電子書籍版)No.1164-1168
*2:経済産業省(2022)「新しい市場ニーズへの対応」p.4
*3:総務省統計局(2022)「人口推計(2021年(令和3年)10月1日現在>第1表 年齢(各歳)、男女別人口及び人口性比―総人口、日本人人口(2021年10日1日現在)」(エクセル)
*4:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*5:総務省(2021)情報通信総合研究所「デジタル・トランスフォーメーションによる経済へのインパクトに関する調査研究の請負 報告書」p.26、p.42
*6:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*7:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*8:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*9:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*10:経済産業省(2021)「令和2年度 産業経済研究委託事業 (電子商取引に関する市場調査)報告書」p.6、p.10
*11:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*12:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*13:ニュースイッチ(2021)「トヨタ・ホンダ・日産も本気を出した!自動車のオンライン販売はどこまで進む?」(日刊工業新聞2021年5月3日)
*14:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*15:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143
*16:消費者庁(2021)MUFG「キャリア決済を中心としたキャッシュレス決済の動向整理」p.3、p.5、pp.23-30
*17:消費者庁(2021)MUFG「キャリア決済を中心としたキャッシュレス決済の動向整理」p.3、p.5、pp.23-30
*18:経済産業省(2021)「キャッシュレス決済実態調査アンケート 集計結果」p.5
*19:フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2022)『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』 朝日新聞出版(電子書籍版)p.132、pp.135-143