
バーチャル空間で人とコミュニケーションを取ったり、商取引をしたりする「メタバース」の世界が注目されています。
新型コロナの出現で、自宅にいながらも「仮想オフィス」の中にオフィスや社員のデスクを再現しコミュニケーションの場にする企業もありますし、自宅にいながらにしてバーチャル商店街で買い物ができるような技術も開発されています。
「空間を超えることができる」というのがメタバースの新しいところですが、それだけでなく、障がいを持つ人などの様々な働き方を提供できる可能性がある技術であると筆者は考えるようになりました。
メタバースが生活にもたらすもの
メタバースは、デジタル空間に自分の「アバター」を存在させ、現実の肉体では行けないような様々な場所を訪れたり、実際にその街を歩いたり、買い物もできるような技術です(図1)。
- 現実世界によく似た形を持つデジタル空間の中に、時間の概念がある
- ユーザーが「これは自分の身体だ」と認識できる程度に、操作がタイムリーにアバターへ反映される
- 「会社員のわたし」「親としてのわたし」「趣味の仲間と会う時のわたし」など、その時々にフィットした姿かたちを選択できる
近年、社会人としての個人、家庭人としての個人だけでなく存在できる「サードプレイス」の概念が流行しています。
そのような意味合いでも、メタバースは個人に「新しい自分」を提供できる技術でもあるのです。
また、SNS同様、自分の好きな切り口でバーチャル空間に自分の存在を作ることができるという新時代の「個人の居場所」とも言えるでしょう。
市場は1兆ドル規模へ
メタバースではライブコンサートやオンラインショッピング、ゲームの体験をよりリアルなものにしていきます。こうした新しさには多くの企業が関心を寄せており、構築に必要な半導体やネットワーク企業などを合わせると、関連する産業の市場規模は2020年代末には1兆ドル規模に達する可能性があるとも言われています*1。
「アバター」は「本音」を出しやすい?
また、東京都市大学の市野順子教授などの研究グループが、アバター(分身)を使って参加するチャットの方が、自分の顔で参加するビデオチャットよりも自身の考えや経験を話しやすい傾向があることを明らかにしています*2*3。
実験では20~59歳の男女108人について、初対面同士で2人一緒になってもらい、「自分の顔(ビデオチャット)」「自分の顔に似たアバター」「参加者全員共通の、外見が似ていないアバター」の3種類を使ってリモートで会話をしてもらいます(図2)。
そこで自己紹介など基本的な会話をした後、個人的な経験や考えについて10分間やりとりした結果を第三者が分析すると、「共通の、外見が似ていないアバター」を使用している場合が最も自己開示の度合いが高く、ビデオチャットでは、自己開示の度合いが最も低かったといいます。「本音」が出やすいとも言えるでしょう。
どちらの実験でも、声の加工はしていません。よって、「外見」が会話内容になんらかの影響を与えていると考えられる、というのが結果です。
また、アバターを使う際は2人の自己開示の度合いが同程度になる傾向もみられたということです。
オンライン会議で意見を活発化させる手段のひとつとして期待されています。
元ソニー技術者が考えるメタバースの可能性
ところで先日、筆者はソニーで技術者として勤めていた人と話す機会がありました。現在の「おサイフケータイ」に使われている「FeliCa」技術などの開発に携わってきた人ですが、メタバースについて意外な考えを教えてくれたのです。
それは、「メタバースはダイバーシティを担う重要な技術に発展していくためにある」ということでした。
メタバースは、その刺激的なビジュアル演出にどうしても目が行ってしまいますが、「自分の得意な部分を強調することができる世界」という特徴も持ち合わせています。
それが、多様な人に対して働く場所を提供できることにつながるというわけです。
例えば、身体に不自由があるために移動や動作が困難な人も、パソコンを使えれば自宅にいながらにしてメタバース空間で働くことができ、自由に街を行き来し、欲しいものを「店」で買うこともできるというわけです。
新しい「普通」を作ることができるか
そして、彼は「目に見えない障がい」による生きづらさを打破できる可能性を語ってくれました。
例えばセクシャルマイノリティにある人の場合、メタバースの世界ではそれぞれの性認識に合った働き方をすることができるかもしれません。もちろん、いま生きづらさを抱えている人の生活全般をカバーできるわけではありませんが、働き方やショッピングの幅が広がることも考えられる、というわけです。
なお、発達障がい者の支援をしている発達支援研究所の倉橋所長は、メタバースについてこのように述べています。
メタバースの世界では次のようなことが大きなポイントになってきます。つまりメタバースの世界ではユニバースの世界に比べてこれから圧倒的に多様な世界が作られていくことになります。多様な世界ということは,それぞれの世界の中で「標準」とか「基準」とされることもまた多様になるということです。
(中略)
ユニバースの世界では一律に「障がい者」とみなされた人は,その世界では別に障がい者ではなくなります。障がいの概念も,「その人の特性」という見方ではなく,「ある世界との相性の悪さ」の問題という見方にシフトしていくでしょう。そして同じ人が「Aの世界では障がい状態」だが「Bの世界ではエリート」みたいなことも,現在の世界をはるかに超えるレベルで普通に起こっていくことになります。
一気にとはいかなくても、メタバースは、このようなパラダイムシフトを起こす技術にもなりそうです。
メタバースを単なる新しいデジタルビジネスと捉えるだけでなく、その幅広い可能性は働き方やダイバーシティにどう活かされていくのか。
今後の動向に注目したいと思います。
*1:「メタバース1兆ドル市場へ 半導体や触覚技術にも商機」日本経済新聞 2022年5月2日
*2:「アバターで『素の自分』出やすく 東京都市大などが分析」日本経済新聞 2022年4月20日
*3:「オンラインコミュニケーションツールを比較し、自己開示の効果を検証 ―VRアバターはビデオチャットよりも素の自分をさらけ出す。―」東京都市大学