注意散漫な時代に知っておきたい「カーム・テクノロジー」入門

現代の人々は四六時中、端末の通知に意識が引き付けられ、集中を脅かされています。
スマートフォンに「Digital Wellbeing」や「スクリーンタイム」、「集中モード」といった機能が搭載されるようになったのは、その象徴ともいえるでしょう。

人々の注意を必要以上に奪うことのない、より自然なテクノロジーと共存することは難しいのでしょうか。
そう考える人にとって、ぜひ知っておきたいのが「カーム・テクノロジー(穏やかな技術)」の考え方です。

1990年代に、ユビキタス・コンピューティングの父といわれるマーク・ワイザーが提唱した概念で、電気のスイッチのように生活に溶け込み、人が無意識的に活用できるテクノロジーを指します*1

カーム・テクノロジーの概念は、UI・UXデザイナーやエンジニアだけでなく、テクノロジーとの関係を見直そうとするすべての人にとって役に立つ考え方です。
本稿では、この分野の第一人者であるアンバー・ケース氏の著書『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン(以下、『カーム・テクノロジー』)』を基に、核となる部分を解説していきます。

「カーム・テクノロジー」8つの基本原則

はじめに、アンバー・ケース氏がカーム・テクノロジーの基本原則として挙げている八つの要素を紹介します*2
あなたが愛用している、もしくは自社でリリースを考えているプロダクトはこのうちいくつ当てはまるでしょうか。

  1. テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない
  2. テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなくてはならない
  3. テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない
  4. テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない
  5. テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない
  6. テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない
  7. テクノロジーの最適な用量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である
  8. テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない

順に詳しく見ていきましょう。

1.テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない

冒頭でも触れた通り、今や私たちの注意力はさまざまなテクノロジーによって奪い合われる状態にあり、とっくに「容量オーバー」です。
それこそが、「穏やかな」テクノロジーが求められる根拠でもあります。

例えばPCの前に座り、受信メールを確認するというかつてのやり方では、100%の注意をPCの画面に持っていかれてしまい、同時にほかのことをするのは難しいでしょう。

やかんやオーブンのように、その場を離れていても音でアラートを発したり、ランプの色でステータスを表したりすることが推奨されます。

2.テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなくてはならない

わかりやすい例として、配車サービスのUberがあります。配車の手配が済んだら、あとは電話をポケットに入れて放っておいても大丈夫です。
車が近くまで来たらアプリが音で知らせてくれるため、いつ車が来るかわからない不安を和らげる仕組みが採用されているからです。

また、Slackなどのチャットサービスでは、メンバーがオンラインになった瞬間、その人のアイコンについた丸いマークが緑色に点灯します。
これも、できる限りユーザーのメインのタスクに干渉せず、日常生活に溶け込むよう工夫されたテクノロジーです。

3.テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない

周辺部とは、「意識の周辺部」のことです。例えば運転中、ガソリン切れを知らせてくれるダッシュボード端のランプは、「周辺部」にアラートを表示させ、運転というメインの活動を邪魔することなく、必要な情報を知らせてくれます。

触覚や聴覚、視覚の周辺部を活用すれば、副次的な活動は脇でこなしつつ、もっとも大事なタスクから視線をそらすことなく集中できるのです。

『カーム・テクノロジー』では、
「テクノロジーで埋め尽くされた現代人の日常生活は、どんどん運転中の動作と似てきている。重要な中心タスクが一つある一方で、周辺部には一時的な小さい補助チャネルが大量にある」
と説明されています*3
そして、「穏やか(カーム)なプロダクトをデザインするには、意識の周辺部に対する理解を深めることが欠かせない」とされています*4

4.テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない

アンバー・ケース氏は、
「最高のテクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅する」
「最高のインターフェースとは、人とテクノロジーとをつなぐものではなく、人と人をつなぐものだと言える」
と説いています*5

ここでは「人類の膨大な知識をデジタル目録にまとめるボットを使い、人と人とをつなぐ一種の配電盤」と考えられるGoogle検索が例に挙げられています*6

5.テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない

近年、「Googleアシスタント」や「Siri」をはじめとするスマートフォンの音声アシスタントや、スマートスピーカーなど、音声ベースのインターフェース(VUI)はますます増加傾向にあります。

しかし、現状コンピュータは文脈を完全に理解しているとは言えません。その状態のまま人間らしく喋らせようとすると、ユーザーは違和感を覚えることになります。
実際、スマートスピーカーや音声アシスタントを日常的に使わない方からは、「(目的の動作をさせるには)なんて話しかけたら良いか分からない」という声を聞くこともあります。

音声によるやり取りがふさわしい場面は限られています。
例えば、静かな上に閉鎖環境である車の中は、カーナビという音声を使ったテクノロジーの成功例といえるでしょう。

現状、音声インターフェースを機能させるのは非常に難しいため、「人間の声は絶対に必要なときだけ使うべき」ものだと考えられます*7
代わりにアラート音やランプ、振動音を使うことを考慮しましょう。

6.テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない

エッジケース(めったに起こらないバグのこと)はめったに起こらない一方で、起こったときの影響が甚大なため、決して無視できません。

基本的な対策は、ある部分が不具合を起こしても、全体が止まらないようシステムに余裕をもたせておくこと。また、事前にできる限りエッジケースを予測し、カタログや説明書に対処法を言葉で記載しておくこともできるでしょう。

ユーザーは必ずしもテクノロジーの扱いに慣れた人ではないことを認識しておかなくてはなりません。

7.テクノロジーの最適な用量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である

カーム・テクノロジーの理想形は、人がテクノロジーそのものを意識せずとも機能していること。環境にすっかり溶け込んでしまうことです。

優れたデザイナーは、プロダクトの細部にこだわり、思いついたエッジケースを徹底的に確認して、もうこれ以上は削れないというところまで不要な機能を外すことを恐れません*8

大事なことは、他にどうしようもない場合を除き、汎用性のない仕組みを導入するのは避けること。ユーザーができるだけ少ない労力で目標を達成できるよう尽力することです。

8.テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない

社会的に「ノーマルな」テクノロジーとは、既存の規範に合致するもの、あるいは社会に受け入れられるように、その過程で徐々に常識を変えてきたものを指します*9
後者はカメラ付き携帯電話やスマートフォンが分かりやすいでしょう。登場した当初は奇異の目で見られたものですが、1~2年ですっかり社会に浸透しました。

一方、先進的すぎて数年たっても気味悪がられてしまうテクノロジーも存在します。
アンバー・ケース氏は「iPhoneが市場の先駆者になれたのは、すでにあるものを改良したからだ」と分析しています*10*11

仮に初代iPhoneに初めから無数のアプリや位置測定、マルチタスクといった大量の機能を一気に載せていたとしたら、値段は跳ね上がり、デバイスはユーザーにとってまったく「未知の製品」となってしまい、大失敗に終わっていただろうというのです。

キャプション:画像は最新のiPhone 14。初代iPhoneは2007年6月29日にアメリカで発売された

これに倣い、機能やコンセプトは一度に一つずつ紹介すること。そして、ユーザーとなり得る層を充分に研究し、そのプロダクトが歓迎されそうか、されなさそうかを理解していく必要があります。
新たな機能は、そのプロダクトが一般に受け入れられた後で徐々に追加していけば良いのです。

一つのプロダクトが八つの原則全てを満たしている必要はありません。しかし、デザインの初期段階でこの原則を念頭に置いておけば、発売後に生じるユーザビリティの問題も減らすことができます。

カーム・テクノロジーの事例

それでは、具体的なカーム・テクノロジーの事例を見てみましょう。

ロボット掃除機・ルンバ

まずは、『カーム・テクノロジー』にしばしば登場する、ロボット掃除機のルンバが挙げられます。ルンバは掃除が終わると幸せそうな音を、動けなくなってしまった際には悲し気な音を発します。加えて、それらの状態を知らせる副次的な表示システムとして、オレンジ色や緑色のステータスランプも使われています。
音を聞き逃してしまっても、これらの「穏やかな通知」を見れば状況がすぐに分かるというわけです。

ゲームのコントローラ

最近は、多くのゲームコントローラに「振動」という触覚的なフィードバックが備わっています。コントローラの振動は視野を使うことはありませんから、プレイヤーは1番のタスクであるゲームプレイに集中できます。
ゲームのサウンドやビジュアルに対する集中を切らさずに決断を下し、プレイの精度を上げるための仕組みといえるでしょう。

しっぽロボット・Petit Qoobo(プチクーボ)

Qooboはしっぽのついた、丸いクッション型のセラピーロボットで、Petit Qooboは一回り小さい最新型です。なでるとしっぽを振ってくれるだけでなく、放っておくと気まぐれにしっぽを振ってもくれます。

言葉を理解しているわけではありませんが、音や声に反応し、大きな音がすると、驚いたようにしっぽをピン、と立てる様子が見られます。 抱きしめると鼓動のような微かな振動が感じられるのも特徴の一つとなっています。電池残量やエラーといったステータスはLEDの光り方でさりげなく表現されています。

「Qoobo」シリーズは、ニッチなプロダクトながら、2021年9月29日時点でシリーズ累計3万台を売り上げており、癒やし効果や高齢者介護現場でのポジティブ効果も認められています*12*13*14

『カーム・テクノロジー』ではアザラシ型ロボット「パロ」が取り上げられていますが、こちらも無駄をそぎ落とし、非言語コミュニケ―ションをうまく使った「カーム・テクノロジー」の好例といえるのではないでしょうか*15*16

長く便利に使用できるプロダクトを自身で選択し、生み出すヒント「カーム・テクノロジー」

私たちはいつも、画面を占有する通知や音に注意を奪われています。端末やツールをカスタマイズせず、買った時の状態のまま使うという方は、とりわけその傾向にあるのではないでしょうか。

そんな中で、便利でありながらも人々の暮らしに自然に、深く溶けこみ、長く愛されるプロダクトやサービスはどう作れば良いのか。また、どのように選択すれば良いのでしょうか。そのヒントが、今回紹介した「カーム・テクノロジー」という概念の中に詰まっています。

ユーザーの注意を常に100%奪うのではなく、必要な時にだけ最小限の注意を引く、煩わしくないプロダクト。そんな物を生み出すことができる企業こそが、長く愛され、不安定な時代を生き残っていくのかもしれません。

この記事を書いた人

松ヶ枝優佳

フリーランスのライター/Web編集者。東京都生まれ。大学卒業後より、ライターとして雑誌やビジネス系メディアを中心に書評コラム、グルメレビューまで、幅広くコンテンツの企画・執筆を行う。

*1:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*2:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*3:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*4:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*5:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*6:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*7:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*8:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*9:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*10:標準的な携帯電話のインターフェースのこと。

*11:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*12:「Qoobo」シリーズ累計販売数3万匹突破!しっぽのついたクッション型セラピーロボット「Qoobo」&「Petit Qoobo」|ユカイ工学株式会社のプレスリリース

*13:ユカイ工学

*14:Qoobo

*15:アンバー・ケース著、高崎拓哉訳、mui Lab監修『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(2020年7月、ビー・エヌ・エヌ新社)p7、p35、p47、p47、p48、p50、p50、p55、p62-63、p66、p70、p51-52

*16:paro.jp