健康のためとはいえ、食事の管理はなかなか難しいものです。
しかし、最近は、健康管理をサポートする最先端技術が次々に開発されています。
減塩食品の塩味が強く感じられるような食器型のデバイス、好みの食感を再現するデバイス、臭覚のデジタル化、任意の味を再現することができるディスプレイ・・・。
本記事では次世代型ヘルスケア製品に関する最新情報をご紹介し、市場の動向を探ります。
塩味を強く感じさせる食器型デバイス
キリンホールディングスは、明治大学との共同研究で、減塩食品の塩味を約1.5倍強く感じさせる技術を開発し、その技術を搭載した食器型のデバイス「エレキソフト」を開発しました。
それはどのような技術でしょうか。その背景からみていきましょう。
日本人の塩分摂取量と減塩・無塩食品市場
厚生労働省の資料では、高血圧は脳・心・腎・血管に悪影響を与えることから、血圧値を基準範囲にコントロールする必要があると指摘されています*1。
ナトリウム(食塩)の過剰摂取が血圧上昇に関連していることは、多くの研究によって指摘されてきました。
また、食塩摂取量が高いほど脳卒中や全循環器疾患のリスクが上昇することが示されたデータもあります。
2003年以降、世界保健機関(WHO)の一般成人向けのガイドラインでは、一般成人の目標値として食塩 5g/日未満という基準が示されており、それが現在、世界全体の目標となっています。
一方、2019年における20歳以上の日本人の食塩摂取量は、男性の平均値が10.9g、女性は9.3gに上っています*2。
こうした状況を背景に、健康志向が高まり、日本の減塩・無塩食品市場は拡大を続けています。販売額は2015年から2020年の5年間で約26%成長し、2020年の販売額は1,413億円という推測値もあります*3。
キリンホールディングスが2021年に実施したアンケートによると、塩分を控えた減塩食を行っている、あるいは行う意思のある人のうち、約63%が減塩食に課題を感じていました。また、そのうち約8割の人が味に対する不満を抱えていたということです。
このことから同社は、減塩食をおいしく続けることができれば、顧客の健康課題の改善や、減塩・無塩関連市場のさらなる拡大につながる可能性があると分析しています。
「エレキソルト –スプーン–」と「エレキソルト –椀–」
同社は2019年から明治大学の宮下芳明研究室と共同で、人体に影響しないごく微弱な電流を使って疑似的に食品の味の感じ方を変化させる「電気味覚」技術の研究に取り組み、減塩食の味わいを増強させる独自の電流波形を開発しました*4。
減塩をしている人や減塩していた経験のある人を対象にした臨床試験では、減塩食を食べたときに感じる塩味が約1.5倍程度に増強されることが世界で初めて確認されました(図1)。
同社のアンケートによると、減塩に取り組んでいる人が「濃い味で食べたいもの」は、1位がラーメン、2位がみそ汁でした。
こうした顧客のニーズに応え、食事をより楽しくすることを目的として開発したのが、ラーメンや汁物を食べるのに適したデバイス、スプーンと椀です(図2)*5。
スプーンの方は、柄にあるスイッチで電源を入れて、4段階のうち好みの強度を選択した後、通常のスプーンと同じように使用します。
お椀は側面にあるスイッチで電源を入れて同様に強度を選択した後、お椀の底部に手を当ててふつうのお椀と同じように使用します。
同社は2023年中の日本国内での発売を目指し、複数の企業とのコラボレーションを推進して、顧客が我慢や不満を抱えることなく、「楽しく・おいしく・健康的な食習慣」を実現できるサービスの提供を目指しています。
食べ物の食感を再現するデバイス・臭覚のデジタル化
パナソニックは、食感を再現するデバイスや臭覚のデジタル化の開発に取り組んでいます。
食感を再現するデバイス
食感を再現するデバイスは、装着者の噛む動作を検知し、その動きに合わせて音と振動を発生させることで、まるで食感があるかのような体感を装着者に与えます*6。
例えば、揚げたての唐揚げを食べたときの「パリパリ」や「カリカリ」といった音を再現し、唐揚げを食べていないのにまるで食べているような食感を再現することを目指しています*7。
開発者は、「食事の満足感を得るには見た目や食感が大きく影響すると考えた」と述べています。
製品として開発されれば、闘病中などで食事制限がある人や食べ物を飲み下すのが難しい人でも、食事を楽むことができるようになるでしょう。
臭覚のデジタル化
「五感で最後のデジタル化」―これまで嗅覚のデジタル化は極めて困難だとされてきました。なぜなら、臭覚には40万種類に及ぶ膨大なにおい成分が絡み、しかもにおい物質の濃度は、味と比べて1,000分の1にも満たないからです*8。
パナソニックインダストリーはこうした臭覚を的確にセンシングして電気信号に変え、パターン認識して人の嗅覚に迫ろうとしています。
その第一歩が、2022年11月に公開した「人工嗅覚システム」。
人工嗅覚は、人間嗅覚のメカニズムに基づいています(図4)。
このセンサは、人が鼻腔からにおい分子を吸引して、においを識別するまでの過程と同じメカニズムでにおいを識別します。
現在の精度は、一般的な人の嗅覚を超え、におい感知について訓練された専門家のレベル。
この技術を応用すれば、呼気による日々の健康管理が可能になるかもしれません。
開発チームは実用化に向けて、さらなる進化を目指しています。
任意の味を表現できる味ディスプレイ
キリンホールディングスと共同でエレキソルトの開発に取り組んでいる明治大学の宮下芳明教授は、任意の味を表現できる装置、味ディスプレイを開発しました*9。
人間の舌には、甘味・酸味・苦味・塩味・旨味の基本五味を感知する個別の受容体が存在します。
宮下教授が開発した味ディスプレイには電解質を溶かして固めた5種類のゲルがあり、それを舌に触れさせます。そのゲルに電気をかけると、ゲル内にあるイオンが泳動し、基本五味のバランスを自由に調整できる仕組みです。
味ディスプレイを使えば、ゲルの電流の強さを調整することで、例えばチョコレートシェイクやサーロインステーキ、他にも食べたい物の味をなんでも体験することができます*10。
味ディスプレイは当初、手で握って先端を舐める形状をしていましたが、その後マスク型に改良し、持続的に味を感じ取れるVR(バーチャルリアリティ)システムになっています。
同教授は、携帯電話などに組み込むことができる「舐められるスクリーン」を開発中で、今後は、スマートフォンで料理番組を見ながら、その料理を味見できるようになるだろうと述べています。
教授はまた「嗅覚ディスプレイ」に関する実験にも着手し、触覚にも注目しています。
さらに、3Dプリンタの研究も行っているため、プラスチックではなく食べられる食材を使って、さまざまな固さ・やわらかさを表現することも視野に入れています。
今後の展望
以上のように、最近相次いで次世代型のヘルスケア製品が開発されつつありますが、最後にヘルスケア関係の市場動向を探ってみましょう。
上述の製品は健康食品ではありませんが、食品に強い関連があるため、まずは健康食品市場についてみていきたいと思います。
健康食品に関しては法による規定はなく、厳密な定義もないため、健康食品は「摂取することで健康の維持・増進が期待される食品」と説明されることが多く、一般的な食品から、機能性食品や栄養補助食品、サプリメントまで含みます*11。
市場規模についても健康食品の定義のし方によって様々な推測値が公表されていますが、健康食品市場は昨今の健康ブームに乗って拡大傾向にあり、2022年度の国内健康食品市場規模は前年度比2.0%増の9,031億円という推計があります。
次にヘルスケア市場の動向をみてみましょう。
国はヘルスケアを推進するため、新しいプレーヤーの育成などさまざまな施策を行っています*12。
経済産業省によると、ヘルスケア産業市場規模は、2016年には約25兆円、2020年には約28兆円、2025年には約33兆円になると推計されています*13。
このように、健康食品もヘルスケア産業も、市場規模の拡大が見込まれています。
本記事でご紹介したような、最先端技術を駆使したヘルスケア製品が販売されるようになれば、巨大ニーズの掘り起こしにつながる可能性もあります。
今後もその動向に留意する必要があるでしょう。
*1:出所:厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2020 年版) 「日本人の食事摂取基準」策定検討会報告書」p.431, pp.433-434
*2:出所:厚生労働省「令和元年 国民健康・栄養調査結果の概要」p.23
*3:出所:PRTIMES キリンホールディングス「[~おいしく生活習慣の改善!世界初の電流波形を搭載した新たな「エレキソルト」デバイス~電気の力で、減塩食の塩味を約1.5倍に増強するスプーン・お椀を開発 ~2023年のデバイス発売を目指し、健康的な食を提案する2企業との共同実証実験を9月開始](https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000482.000073077.html)~」(2022年9月7日 10時00分)
*4:出所:キリンホールディングス「世界初※1!電気刺激の活用で塩味が約1.5倍に増強される効果を確認」
*5:出所:PRTIMES キリンホールディングス「[~おいしく生活習慣の改善!世界初の電流波形を搭載した新たな「エレキソルト」デバイス~電気の力で、減塩食の塩味を約1.5倍に増強するスプーン・お椀を開発 ~2023年のデバイス発売を目指し、健康的な食を提案する2企業との共同実証実験を9月開始](https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000482.000073077.html)~」(2022年9月7日 10時00分)
*6:出所:パナソニック「TEXTURE 食のVR化」
*7:出所:日経クロステック「音や電気刺激で「バーチャル食感」、唐揚げのパリパリ感やグミの歯ごたえも」(2022年7月15日)
*8:出所:パナソニックインダストリー「人工嗅覚システム においを捉えるセンシング技術 五感のデジタル化、最後の砦へ」
*9:出所:明治大学「プレスリリース ~感染リスクなく味を共有できる技術へ~ 「任意の味を表現できる味ディスプレイ」を 総合数理学部 宮下芳明教授が開発」(2020年4月30日)
*10:出所:NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版「味を記録して再現するという「新体験」」
*11:出所:日本経済新聞 「健康・機能性食品 健康・機能性食品の業界概要」(2023年1月14日調査)
*12:出所:経済産業省「第1回新事業創出WG 事務局説明資料 (今後の政策の方向性について」(2021年1月29日)p.3
*13:出所:経済産業省「第1回新事業創出WG 事務局説明資料 (今後の政策の方向性について」(2021年1月29日)p.1