『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』とユーザーエンゲージメント:睡眠市場の未来を切り拓く戦略

1.はじめに

現代社会において、睡眠は健康とQOL(生活の質)を左右する重要な要素として再認識されています。脳科学の進展により、睡眠と脳の健康との密接な関係が明らかになるにつれ、睡眠市場は急速に成長を遂げています。しかし、睡眠不足や質の低下は依然として多くの人々に深刻な影響を及ぼしており、市場ニーズも多様化しています。マーケティング関係者にとって、これらのニーズにどう応え、どのようにして消費者の関心を引き付けるかが課題です。本記事では、最新の睡眠科学を基に、マーケティングにおける新たなアプローチやビジネスチャンスを探ります。

2.睡眠と健康の最新科学*1 *2 *3 *4 *5

睡眠は、ただの休息ではなく、脳や身体にとって不可欠な回復プロセスです。睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠の2つの主要な段階があり、それぞれ異なる役割を担っています。レム睡眠は浅い眠りの状態で、夢を見たり、記憶の整理や定着が行われたりする段階です。一方、ノンレム睡眠は深い眠りの状態で、脳や身体が最もリラックスし、再生する時間となります。通常、夜の睡眠中にはこれらのサイクルが90〜120分ごとに繰り返され、良質な睡眠には両方のバランスが重要です。

脳科学の進展により、睡眠が脳の健康に与える影響がますます明らかになっています。レム睡眠中に脳が既存の知識や経験を再構成し、新しいアイデアや創造的な思考を生み出す能力が高まることが示されています。また、ノンレム睡眠は脳の老廃物を除去し、神経細胞の修復を促進するため、認知機能の維持に欠かせないプロセスです。睡眠の質は脳の健康に直結しており、適度でない睡眠は記憶力の低下や認知症の発症リスクの増加につながる可能性があります。

さらに、睡眠は身体全体の健康にも影響を及ぼします。十分な睡眠をとることで、代謝が正常に働き、肥満や糖尿病のリスクが低減します。逆に、睡眠不足が続くと、肥満、高血圧、心疾患、さらにはうつ病などの精神疾患の発症リスクが高まることが報告されています。特に働き盛りの世代では、慢性的な睡眠不足が深刻な社会問題となっており、解決するための市場ニーズは増大しています。

3.マーケットトレンドと成功事例

睡眠市場は、健康意識の高まりや技術革新に伴い、急速に拡大しています*6

市場調査によると、睡眠関連商品やサービスは今後数年間で大幅な成長が見込まれており、特にウェアラブルデバイスやスマートベッドなど、個別化された健康ソリューションが注目されています。これらの製品は、単なる健康管理の手段にとどまらず、消費者のライフスタイルに深く浸透しつつあります。

たとえば、フィンランド発のOura Ring*7や、米国のReST Bed*8といったウェアラブルデバイスやスマートベッドは、消費者の間で高い支持を得ています。Oura Ringは、指輪型のデバイスでありながら、精密な睡眠データを収集し、ユーザーに最適な睡眠改善策を提供します。ReST Bedは、睡眠中の体の動きをリアルタイムで感知し、個別のサポートを提供することで、より快適な睡眠環境を実現します。個々のユーザーのニーズに合わせたカスタマイズ可能なソリューションを提供することで、高級市場での成功を収めています。

成功事例の一つとして、『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』*9を詳しくみてみましょう。このアプリは、人気キャラクターであるポケモンを通じて、ユーザーの睡眠を楽しく管理・改善することを目的としています。ユーザーが就寝前にスマートフォンのアプリを起動し枕元に置くだけで、睡眠の開始・終了時間、睡眠中の動き、いびきの音などのデータを自動的に取得し、睡眠の深さや睡眠サイクルなど睡眠分析が可能です。分析データに基づき、規則正しい睡眠習慣や睡眠環境の改善などのアドバイスが提案されることもあります。ポケモンという広く認知されたキャラクターを活用することで、親しみやすさを持ちながら、健康管理というテーマに自然に関心を引き寄せ、他サービスとの差別化を実現しています。

4.ゲーミフィケーションとユーザーエンゲージメント

睡眠市場におけるゲーミフィケーションは、幅広い消費者層に訴求するための重要な戦略です。さらに、消費者のライフスタイルや健康状態に合わせてパーソナライズされたアプローチは、ブランドの競争力を高める上で欠かせません。

『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)*10』は、ゲームやエンターテインメントの要素と、睡眠トラッキングを融合させることで、国籍年代を問わず幅広いユーザーをターゲットにしています。若年層やファミリー層を主なターゲットとしつつも、健康への関心が高いユーザー層にもアプローチしています。

また、ユーザーごとの睡眠データを活用し、パーソナライズされたフィードバックを提供しています。「うとうと」「すやすや」「ぐっすり」と3つの睡眠タイプの中からユーザーの睡眠の質に応じてポケモンが集まり、カビゴンというポケモンが育つという仕組みは、ゲームの進行に個人の睡眠データが直結しているため、ユーザーは自然と自分の睡眠に関心を持つようになります。結果的に、ゲームを楽しみながら毎日アプリを使用する習慣が生まれ、継続的に自身の睡眠習慣を見直し改善する動機づけとなっています。

2023年7月にリリースされて以来、『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』は全世界で2000万ダウンロード以上、計測されたプレイデータは5億回以上を超えています(2024年7月時点)。日本におけるプレイデータによれば、リリース以来、直近のアクティブユーザーの約60%が継続利用しています。*11

『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』を3ヶ月以上プレイしたユーザー15万人を対象に行ったユーザーアンケートによれば、「『Pokémon Sleep』をプレイすることによって、早く寝るようになりましたか?」の設問に約82%が「はい」と回答、「『Pokémon Sleep』をプレイすることによって、朝起きるのが楽しみになりましたか?」の設問には、約83%が「楽しみになった」と回答しました。 『Pokémon Sleep』をプレイすることで、睡眠習慣が改善しましたか?」の設問には約76%が「はい」と回答、「総括して、『Pokémon Sleep』をプレイすることで、自分の睡眠体験がよいものになったと感じますか?」の設問には約88%が「はい」と回答しました。*12

このように、『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』は、ゲーミフィケーションによりユーザーのエンゲージメントを高め、世界中の消費者にリーチすることにつながっています。

5.コンテンツマーケティングとエデュケーション型アプローチ

睡眠市場で成功を収めるためには、消費者に対する教育的なアプローチが不可欠です。エデュケーション型のコンテンツマーケティングは、ブランドの信頼性を高めるだけでなく、消費者の行動変容を促進する有効な手段です。

『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』の成功は、単にアプリとしての機能にとどまらず、コンテンツマーケティングとエデュケーション型アプローチをうまく活用した点にもあります。アプリ内や公式ホームページなどで提供される睡眠に関する情報は、科学的根拠に基づいています。また、エデュケーショナルなコラボレーションも積極的に展開し、睡眠教育の啓発活動や、睡眠改善のための科学的アプローチの普及を支援しています。たとえば、睡眠学の世界的権威である筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の機構長である柳沢正史氏の監修の下、睡眠に関する疑問に答えるQ&Aや最新の睡眠科学に基づく“より良い睡眠のための7ヵ条”といったコンテンツを発信しています。消費者に対して信頼性のある情報を提供することで、ブランドの信頼性を高めています。*13

動画コンテンツやソーシャルメディアを通じた情報発信も効果的です。『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』は、ゲームの魅力や睡眠改善の重要性を伝えるプロモーションビデオやSNSを展開することで、ユーザーにエデュケーション型コンテンツを提供しています。ユーザーは楽しく学びながら睡眠改善に取り組むことができ、ブランドはユーザーとの強固な関係を構築することができます。

6.パートナーシップとコラボレーション

睡眠市場における成功には、単独でのマーケティング戦略に加えて、異業種とのパートナーシップやコラボレーションが重要な役割を果たします。新たな市場へのアクセスや、相互に補完し合う価値提供が可能になり、ブランドの認知度や信頼性をさらに高めることができます。

『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』は、まさにこのパートナーシップ戦略の好例でもあります。ポケモンという広く認知されたブランドとの協力により、スマートフォン用のゲームアプリを開発する株式会社SELECT BUTTON(セレクトボタン)や世界的トップシェアを誇る睡眠計測アプリプロバイダーである中国の北京大発企業のSleepaceとコラボし、ゲームと健康管理を融合させた革新的なアプローチを実現しました。

睡眠トラッキングという一見地味なテーマをポケモンのキャラクターを通じたエンターテイメントとして提供することで、ユーザーの満足度を高め、これまで睡眠に興味を持たなかった層にもリーチすることができました。

異業種間のパートナーシップは、各企業の強みを最大限に活かし、消費者に新たな価値を提供するための強力なツールです。『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』のように、異なる業界と協力することで、既存の市場を拡大し、新たなビジネスチャンスを創出することができます。特に、健康管理やウェルネスに関心が高まる現代において、こうしたコラボレーションは、消費者との強固な関係を築く上で非常に有効です。

パートナーシップとコラボレーションは、ブランドの成長を加速させるための重要な戦略です。市場のニーズに応じた柔軟な協力体制を構築することで、消費者に対する影響力を拡大し、持続可能なビジネスの発展を支えることができます。

7.まとめと今後の展望

睡眠市場は、脳科学や健康への関心の高まりを背景に、急速に成長を遂げています。この市場において、消費者の多様なニーズに応えるためには、科学的知見を活かした製品やサービスの提供に加え、エデュケーション型アプローチやパートナーシップの活用が不可欠です。ご紹介した『Pokémon Sleep(ポケモンスリープ)』の例は、エンターテイメントと健康管理を融合させることで、睡眠改善に対する関心を広く惹き付け、持続的なエンゲージメントを促進することに成功しています。

今後、睡眠に関する科学的知見がさらに進化し、市場が拡大する中で、企業はより柔軟かつ革新的なマーケティング戦略を展開する必要があります。特に、消費者のライフスタイルや健康への関心が高まる現代において、パーソナライズされた体験の提供や、消費者との長期的な関係構築がますます重要となるでしょう。単なる製品やサービスの提供を超えて、消費者のライフスタイル全体にポジティブな影響を与える取り組みが求められます。企業は、消費者の健康とQOL向上に貢献することで、ブランドロイヤルティを強化し、持続可能なビジネスの成長を実現することができるでしょう。このような視点を持つことで、睡眠市場におけるさらなるビジネスチャンスが広がっていくことが期待されます。

この記事を書いた人

今村美都

がん患者・家族向けコミュニティサイト『ライフパレット』編集長を経て、2009年独立。がん・認知症・在宅・人生の最終章の医療などをメインテーマに医療福祉ライターとして活動。日本医学ジャーナリズム協会会員。