
国内外から訪問者が絶えない福岡市認知症フレンドリーセンター。ここは認知症当事者や家族、福祉関係者にとどまらず、デザインや教育、企業人まで多様なバックグラウンドを持つ人々が集う拠点です。福岡市が掲げる「認知症になっても住み慣れた地域で安心して自分らしく暮らせるまちを目指す『認知症フレンドリーシティ・プロジェクト』」の中心として、センターは2023年に誕生しました。本稿では、認知症フレンドリーセンターとセンター長・党一浩さんへの取材をもとに、その取り組みの現在地と可能性を報告します。
- 「のぶ子でございます」——当事者の声が物語ること
- 「ツギココ」と外出の自由を取り戻す体験
- 企業と当事者をつなぐ──オレンジパートナーズとオレンジ人材バンク
- ユマニチュードと環境デザイン──ケアとまちの“やさしさ”
- 党一浩・センター長の信念:最終ゴールは「センターが不要になること」
- 当事者発信が拓く未来
「のぶ子でございます」——当事者の声が物語ること
「のぶ子でございます」と名刺を差し出して自己紹介してくれたのぶ子さんは、フレンドリーセンターで活動する認知症当事者。彼女が関わった製品の一つに、リンナイと共同開発された『SAFULL+(セイフルプラス)』があります。認知症を理由に周囲の勧めでガスコンロをIHに替えたものの、それでは調理をやめてしまう人がいる──その切なる声が出発点でした。
認知症になると新しい操作を覚えることが難しくなることがあります。IHは安全性の面でメリットがありますが、慣れ親しんだ「火」が好きで、たとえ火傷のリスクがあっても台所に立ちたいという当事者も少なくありません。のぶ子さんはこう語ります。「台所に立っているときは、すごく生きている実感が湧く」。その言葉に触発された西武ガスの職員が関連企業であるリンナイに声をかけ、試作段階から当事者の調理フィードバックを重ねて生まれたのが『SAFULL+』です。
天板の印とボタンを同色にする、五徳を大きくして鍋を置きやすくする、グリルにタイマーを付ける、音声案内の速度を調整する──細やかな工夫は、実際に使う当事者の視点から生まれました。「音声が速すぎると聞き取れない。このコンロははっきり聞き取れていいですね」とのぶ子さん。現場の声を取り入れた製品化は、当事者の生活の質をダイレクトに改善します。

「ツギココ」と外出の自由を取り戻す体験
トヨタの「ツギココ」も、のぶ子さんが関わった事例のひとつです。自動運転の開発に携わっていたエンジニアが、運転免許返納につながる認知症の実態に気付き、「目的地にたどり着けないなら、ナビで導けばよい」と発想を転換しました。方向を示すコンパス表示、方向を間違ったときの振動警告といったシンプルな設計は、方向感覚が不安定になった人にもわかりやすいインターフェースです。

週1回のヘルパー同行がなければ外出できなかったのぶ子さんは、一人で大濠公園へ行き、サポートを受けながら太宰府天満宮へも足を運びました。帰宅したとき、両手に梅ヶ枝餅を抱えて「私、行けた!」と涙を流す姿は、技術がもたらす可能性を示唆してくれます。
企業と当事者をつなぐ──オレンジパートナーズとオレンジ人材バンク
オレンジパートナーズとオレンジ人材バンクは、認知症フレンドリーシティ・プロジェクトの重要な柱です。現在、登録企業は120社以上にのぼり、地場企業から他府県の企業までジャンルは多様です。党さんが企業に伝えるのは「社会貢献」ではなく、むしろ「認知症をビジネスに取り込んでください」という視点です。
65歳以上の約8人に1人が認知症とされる今、当事者は重要なエンドユーザー層です。オレンジ人材バンクでは当事者への最低賃金以上の支払いを基準にしており、短時間のイントロインタビューに高額を出す企業もあります。地元のパン屋で当事者を雇用した結果、従業員の雰囲気が変わり、学生バイトが卒業後に就職する流れが生まれた──こうした事例は「当事者よし、企業よし、地域よし」の三方よしを示しています。
ユマニチュードと環境デザイン──ケアとまちの“やさしさ”
プロジェクトでは、オレンジパートナーズとオレンジ人材バンクのほかに、認知症コミュニケーション・ケア技法「ユマニチュード」と、認知症にやさしいデザインの普及を三本柱に掲げています。福岡市では保健福祉局にユマニチュード推進部を設置するなど、公的にも力を入れており、市内の小学校授業にも導入されています。
ユマニチュードは万能ではありませんが、感情記憶に働きかけるアプローチは、当事者とケアする側双方の幸福につながる可能性があります。現場では、救急隊員が学ぶことで搬送時間が短縮された実績も報告されており、「もっと早く知りたかった」という声が多く寄せられています。
一方、まちづくりの面ではトイレのピクトグラム、照明、壁の色などの細部に至る配慮が、当事者の外出を後押ししています。センターだけでなく、地下鉄や公共施設にもこうしたデザインを広げることで、認知症の人が自信を持って外出できる環境をつくっています
党一浩・センター長の信念:最終ゴールは「センターが不要になること」
20年前、入所施設での認知症当事者にある種の“あきらめ”を促すケアに違和感を抱いていた党さんは、重度の認知症であっても折り合いをつけて、いきいきと一人暮らしをする人たちの散らかった部屋にこそ美しさを見出します。小規模多機能居宅介護事業を通じた在宅ケア、認知症カフェ、劇団など、多様な実践を行っていく中で、認知症へのネガティブなイメージを変容させ、認知症フレンドリーな地域をつくることに可能性を感じるようになっていきました。現場での実践を重ねてきたからこそ、福岡市の認知症フレンドリーなまちをつくるというプロジェクトに深く共感した党さんは、ライフワークとしてセンター長に就任することを決意しました。
党さんの言葉は明快です。「最終ゴールは、認知症フレンドリーセンターをなくすこと」。それはセンターが不要という消極的な意味ではなく、社会全体が当たり前にフレンドリーへアップデートされることを意味します。介護保険制度の枠だけでなく、当事者発信を軸に行政・企業・地域が愉快に循環する社会──その実現は決して夢物語ではないことを、現場の取り組みは示しています。
当事者発信が拓く未来
認知症を「できない」で囲い込むのではなく、当事者の願いに耳を傾け、ハードとソフトの両面で解決策を模索していく──認知症フレンドリーセンターの試みは、地域と企業、行政が協働する新しいモデルの可能性にあふれています。当事者の声が製品を変え、外出の自由を取り戻し、地域を活性化する。そこから生まれる希望は、これからの認知症ケアの重要な指標となることを実感しています。
※取材・記事執筆は福岡市の許可のもと行われたものです。
