コラム

遠回りしてたどり着いた、サステナブルな働き方

マーケティング部 岩野航平【文責】

「岩野は仕事何してるの?」

古い友人と会うと、こう聞かれることがある。
できる限り伝わるように説明しても、返ってくるのは決まってこの言葉だった。

「なんかすごそうなことしてるね」

当時私は、新卒で入社したベンチャー企業でBtoB向けSaaS比較サイトを立ち上げていた。我ながらよくわからない仕事をしていたと思う。

役割柄、顧客と対峙したことはない。どこかにいるらしい読者に向けて、記事を書き続けていた。楽しかった気もするが、何が楽しかったか、今はもう思い出せない。

友人からは「よくわからない仕事をしている」と思われる。顧客と会ったこともなければ、感謝されたこともない。自分が何をしているのか、何のために仕事をしているのかわからなくなっていった。

そんな経緯もあり、あるとき「自分の店を構えたい」と思った。友人に「よくわからない仕事をしている」と思わせてしまったことへの反動だろう。一番わかりやすい形で身近な人のためになる仕事をしたかった。

修行のため、飲食店をチェーン展開している企業へ転職した。
しかし今、パワー・インタラクティブに入社し、マーケティングの仕事をしながらこのコラムを書いている。
そんな私の、入社までの経緯をお伝えしたい。

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「やりがい」を求めて転職し、潰れた

転職して初めの2週間、仕事が楽しくて仕方がなかった。
お客様が目の前にいる、価値を生んでいる実感がある、「ありがとう」と言ってもらえる。それが何よりうれしかった。ただ、そんな喜びも長くは続かなかった。

当時いた会社では、文字通り四六時中働いた。
朝9時半に出勤し、夜中1時半まで息つく間もなく働き続ける。座って休憩できた日は数えるくらいしかない。昼食を取れないことも多かった。

店長は毎日私に語りかけた。

「お前は仕事をナメている。だからいつまで経ってもできるようにならない。仕事ができなければ、誰よりも早く来る、家に帰ってからも勉強する。真剣ならそれが当たり前だ」

言われたことはすべて理解できた。納得もしたし、そうしたいとも思った。しかし、行動に移せなかった。そんな体力はどこにもなかった。家に帰れば風呂にも入らず、泥のように眠った。楽しくて仕方なかったはずが、瞬く間に消耗していくのを肌で感じた。

汚れたテーブルを拭きながら、涙がこぼれそうになる。

「今すぐ消えてしまいたい。どうやら俺は道を間違えたみたいだ」

夢を抱いて飛び込んだ仕事を、わずか3ヶ月足らずで辞めた。

人それぞれの「サステナブルな働き方」

飛び出るように退職したため、パワー・インタラクティブに入社する前の3ヶ月間は無職として過ごした。

仕事も夢も誇りもなかったが、時間だけがあった。近所の銭湯に浸かりながら考え続ける。自分は何が欲しいのだろう。
「やりがい」を求めて始めた仕事は3ヶ月も続かなかった。自分にとって最重要なのは、どうやら「やりがい」ではないらしい。

私は短期間で退職したが、実に活気のある会社だった。皆が仕事に前向きだった。四六時中働いていながら元気な同僚に、私は理解が及ばなかった。

店長は絵に描いたようなパワハラ上司であったが、心の底から尊敬していた。彼は休みを取らない。私以上に働き、店舗業務以外のこともこなす。自分が言ったことは必ず実行する人だった。

そんな上司を見て、人間の体力には個体差があることに気付いた。そして、自分は体力的にタフではないのだと悟った。体力がない自分が体力勝負をしても敵わない。勝てない勝負をしてはいけない。

私が仕事を続けるために欠かせないのは「健康」だと気付いた。健康でなければ、やりがいがあっても続かない。

パワー・インタラクティブに入社して2年目になった。幸い、今も仕事を続けられている。

今と昔を比べると、昔の方が頑張っていただろう。頑張っていたが、何にもならなかった。周りに迷惑をかけ、自分自身も憔悴した。限界を超えて頑張ったところで誰も幸せにできない。

最終面接のとき、代表の岡本にこんな質問をした。

「社員がこれをしたら激怒するというものはありますか」

岡本は答えた。

「みんなが健康だったらそれでいいよ」

サステナブルな働き方は人によって異なる。がむしゃらに働くことが仕事を続ける秘訣だという人もいるだろう。
紆余曲折を経て、私は私なりの「サステナブルな働き方」を見つけた。健康を重んじるこの会社は居心地がいい。

転職を決める前に、自分なりの「サステナブルな働き方」を考えてみてほしい。そのうえで、パワー・インタラクティブを選んでくれるのなら何より嬉しい。

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