産後ケア事業の意義とポテンシャル

新しい命がこの世に誕生する―出産は喜びと希望に満ちた特別な瞬間です。

しかし一方で、産後の疲労や育児に対する不安で不調を訴える母親が多いという調査結果があります。特にメンタル面では10人に1人が「産後うつ病」の疑いがあるという深刻な状況です。

現在は核家族が多いため周囲に頼れない母親や、出産の高齢化により産後の回復に時間がかかる母親もいます。
少子高齢化が重要な社会問題になる中、国はこうした状況の改善のために産後ケア事業を推進しています。今のところ利用状況は低調ですが、それだけに今後のポテンシャルは高いともいえます。

民間企業も次々に参入する産後ケア事業について、現況と社会的意義、ポテンシャルを探ります。

出生率の低下と少子化

まず、少子化の深刻な状況をみていきます。

出生率と出生数

日本の合計特殊出生率(15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの)は低下を続けており、出生数も減少の一途をたどっています。

人口動態統計によると、合計特殊出生率は7年連続で低下し、2022年は1.26で、過去最低となりました。*1
ちなみに、人口が長期的に増減せず一定となる出生の水準を「人口置換水準」と呼びますが、日本の場合、合計特殊出生率の人口置換水準は、およそ2.07です。*2

出生数は77万759人で、前年の81万1,622人より4万863人減少し、こちらも過去最少を更新しました。*3

少子化と人口減少

こうした状況を背景に、少子化が進行するとともに人口も減少に転じており、2070年には総人口が9,000万人を割り込むと推計されています(図表1)。*4

図表1:日本の人口の推移

<出典:将来推計人口(令和5年推計)の概要|厚生労働省 p2>

理想の数の子どもを持たない理由

出生率が低下している背景には、「理想とする子どもの数」と「予定している子どもの数」のズレがあります。

国立社会保障・人口問題研究所が行った「2021年出生動向基本調査」では、夫婦が「理想とする子どもの数」は2021年の時点で2.25人であったのに対して、「予定している子どもの数」は2.01人でした。*5
こうしたズレの要因はなんでしょうか。

「予定している子どもの数」が「理想とする子どもの数」を下回っている夫婦に対して理想の数の子どもを持たない理由を複数回答でたずねたところ、最も多かったのが「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」で52.6%でしたが、「これ以上、育児の心理的・肉体的負担に耐えられないから」も23.0%に上り、2002年以降過去4回の調査結果を上回っています。

このことから、産後、一定数の母親が心理的・肉体的負担を認識していることが窺えます。

出産後の母親の負担

では、出産後の母親は、どのような不安や負担を感じているのでしょうか。

産後すぐの不安・負担が重い

厚生労働省の「子ども・子育て支援推進調査研究事業」として行われた三菱UFJリサーチ・コンサルティングによる調査では、妊娠・出産、産後期間に感じた不安や負担についても調べています。*6

回答の割合が高い上位3位までの項目、「自分の体のトラブル(56.1%)」「十分な睡眠がとれない(54.2%)」「妊娠・出産・育児による体の疲れ(53.4%)」は、いずれも産後2週未満の時期でした(図表2)。

図表2:今回の妊娠・出産、産後期間に感じた不安や負担

産後の母親は大きなストレスに晒されているのです。

「産後うつ病」の危険性

厚生労働省の調査によると、約10%の母親に「産後うつ病」の疑いがあることが分かっています。*7, *8
産後うつ病のリスク度の判定に役立つ質問票「EPDS」で30点満点中、9点以上をうつ病としてスクリーニングしたところ、427,991人中41,510人が該当したのです。

出産後の産婦はホルモンのバランスが不安定になり、涙もろい、抑うつ、頭痛などの症状を訴えますが、自然に終息することもあります。
ところが、産後うつ病を発症すると、気分が沈む、日常生活で興味や喜びがなくなる、食欲低下または増加、不眠または不眠過多などの症状がみられます。さらに疲れやすく、気力や思考力、集中力が減退します。
重症化すると、子どもへの虐待や自殺などのリスクにつながることもあります。

日本産婦人科医会によると、産後うつ病の罹患率はおよそ10%。産後3か月以内に発症することが多いという特徴があります。*9
発症の背景要因として、うつ病の既往の他に、育児環境要因による影響も大きいとされていますが、産婦は自分からケアを求めることが少ないということです。

治療には薬物療法だけでなく、パートナーをはじめとした家族や、医療スタッフ、地域の保健師などとの連携が重要です(図表3)。

図表3:妊産婦メンタルヘルスケアの必要性

<出典:産後うつ病について教えてください|公益社団法人日本産婦人科医会>

ところが、厚生労働省の上述の調査では、産後1か月までにEPDSが9点以上を示した人へのフォロー体制として、「精神科医療機関を含めた地域関係機関と連絡会やカンファレンスを定期的に実施している」と回答した市町村の割合はわずか7.2%でした。*10

「産後ケア事業」の実施状況

厚生労働省は、出産後の母子に対して心身のケアや育児のサポートなど、きめ細かい支援を行い、産後も安心して子育てができる支援体制を確保するために、「産後ケア事業」を創設し、2015年度から開始しています。*11
その概要をみていきましょう。

支援を必要とするすべての人に

母子保健法の一部改正(2019年11月成立)によって、産後ケア事業は、2021年4月から市町村における事業実施が努力義務化されました。*12
また、2020年5月に閣議決定された「第4次少子化社会対策大綱」では、2024年度末までに全国展開を目指すとされています。

こども家庭庁は、2023年5月、産後ケア事業をさらに推進するため、利用料減免の対象をすべての産婦に広げ、「支援を必要とする全ての方が利用できる」事業であることを明確化しました。
それに伴い、2023年度予算では、非課税世帯以外の全ての利用者を対象とする利用者負担の軽減措置(2,500円/回(上限5回))が導入されました。非課税世帯は2022年度から利用1回につき5,000円の減免支援が適用されています(図表4)。*13

図表4:産後ケア事業の利用者減免の拡充

実施方法と実施状況

産後ケア事業の実施方法には以下のような3つのタイプがあります。*14

「宿泊型」:病院、助産所等の空きベッドの活用などにより、宿泊による休養の機会を提供
「デイサービス型」:個別・集団で支援を行える施設において、日中、来所した利用者に対し実施
「アウトリーチ型」:実施担当者が利用者の自宅に赴き実施

2022年9月・10月に行われたアンケート調査によると、回答した市町村のうち、宿泊型を実施していたのは67.5%、デイサービス型68.3%、アウトリーチ型は55.5%でした。

利用状況

では、利用者はどのくらいいるのでしょうか。

厚生労働省の資料によると、2019年度は3.66%だったのが、2021年度は6.03%と、やや増加しているものの、利用率はまだ低いことがわかります。*15

ただ、日本最大級の産後ケアホテルを運営する民間企業が2023年3月に行った調査によると、調査対象である出産経験のある20~30代女性640人の30.2%が「産後ケアを利用した、またはする予定」と回答したとのことです。*16

調査対象者も調査方法も異なることから、厚生労働省が公表したデータと単純に比較することはできませんが、市町村の運営にかぎらず、広い意味での産後ケア利用者は、今後、増加するポテンシャルが高いとみていいでしょう。

産後ケア事業のポテンシャル

では、民間企業も含めて、産後ケア事業は現在どのようになっているのでしょうか。

委託先としてのポテンシャル

まず、産後ケア事業を実施するなかで、市町村は何を課題だと感じているのでしょうか。

厚生労働省の調査によると、委託先確保を課題とする市町村が61%に上り、回答の中でもっとも割合が高くなっています(図表5)。*17

図表5:産後ケア事業を実施するうえで課題と感じていること

産後ケア事業実施市町村の委託先として、宿泊型では81.9%が医療機関、46.3%が助産所に、デイサービス型では、68.2%が医療機関、55.6%が助産所に委託しています。また、アウトリーチ型の委託先は、44.1%が助産所、24.8%が助産師会です。*18

このように産後ケア事業の多くが、産科医療機関や助産所で行われていますが、こうした施設の確保が難しいと考えている市町村が多いのです。

しかし、産後ケア事業の事例をまとめた報告書によると、委託先としては、小児科医療機関やNPO法人もみられ、実施場所も保育所や乳児院、旅館などさまざまです。*19

民間企業の参入と市場規模

産後ケア事業を実施する市町村には、補助金が支給されます。*20
1施設あたりの補助単価案は、以下のとおりです。

・デイサービス・アウトリーチ型:月額169万6千円
・宿泊型:月額247万4,700円
・24時間365⽇受け⼊れ体制整備加算:年額271万5,600円

こうした状況を背景に、宿泊施設を改装した産後ケアホテルがオープンしたり、ホテルの一部の客室を産後ケア利用にしたりするなどの参入がみられ、全国的な開設に拍車がかかっています。*21

SDKIの調査によると、2022年、世界のマタニティケア市場は約5,500億米ドル、2035年までに約1兆8,500億米ドルに達すると予測されており、日本でもマタニティケア市場が順調に拡大しています。*22
マタニティケアの中でも、産後サービスは最も急速に成長するセグメントになると予想されています。なお、産後サービスには、さく乳器、マタニティパッド、育児用品などの主要な製品も含まれます。

おわりに

産後ケア事業は、個々の産婦のウェルビーイングという観点からも、国の少子化対策としても、大きな意義があります。

また、国が強力に推進しつつある産後ケア事業は、今後、急成長する可能性が高く、ビジネスとしても大きなポテンシャルを秘めています。

この記事を書いた人

横内美保子

博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。
高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。
パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。

*1:令和4年(2022)人口動態統計(確定数)を公表します|厚生労働省

*2:日本の将来推計人口 > 2.推計結果の解説 > (1)人口減少のメカニズム|国立社会保障・人口問題研究所

*3:令和4年(2022)人口動態統計(確定数)を公表します|厚生労働省

*4:将来推計人口(令和5年推計)の概要|厚生労働省 p2

*5:現代日本の結婚と出産 -第16回出生動向基本調査(独身者調査ならびに夫婦調査)報告書-|国立社会保障・人口問題研究所 p67,74

*6:妊産婦に対するメンタルヘルスケアのための保健・医療の連携体制に関する調査研究 報告書|三菱UFJリサーチ&コンサルティング p71,78

*7:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*8:EPDSを活用した産後うつ病の支援を強化する|東京都福祉局 p27,28

*9:産後うつ病について教えてください|公益社団法人日本産婦人科医会

*10:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*11:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*12:産後ケア事業の更なる推進について|こども家庭庁 p1,2

*13:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*14:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*15:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*16:【3月5日は「産後ケアの日」】男女間での認知ギャップと利用の現状|PR TIMES - 株式会社マムズ

*17:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*18:産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について|厚生労働省 p6,7,8,16,18,21,22,23

*19:産婦健康診査事業・産後ケア事業の体制整備のための事例集|野村総合研究所 p31

*20:令和5年度当初予算案(参考資料)|こども家庭庁 p11

*21:改正母子保健法により各自治体へ補助金がつき、拍車がかかる ホテルの客室活用など新規開設が増加|綜合ユニコム株式会社

*22:マタニティケア市場(Maternity Care Market)に関する調査は、2023年の状況を理解するために実施されました。|PR TIMES - SDKI