ハラスメント対策は窓口設置だけでは不十分 社員の不信を招かない施作を考えよう

いわゆる「パワハラ防止法」が2022年から中小企業にも適用されたことで、経営者の間では危機感が広がっているようです。

その現れとして、企業が従業員から訴訟を起こされた場合の慰謝料などを補填する「パワハラ保険」への加入が急拡大しているということが挙げられます。しかしハラスメントに対する企業の備えは、それだけではじゅうぶんとは言えません。

実は過去には、ハラスメントそのものによって起きた被害ではなく、「対応の悪さ」が裁判の話題にのぼったことがあります。

ハラスメント対策を表面的なもので終わらせてしまうのは危険なのです。

「パワハラ保険」加入が4年間に倍増

昨年、興味深いニュースがありました。

中小企業で、職場のパワーハラスメントを巡る訴訟リスクに備えた保険加入が急拡大している、というものです。

企業がパワハラやセクハラ行為があったとして従業員から訴訟を起こされた場合、敗訴した際の損害賠償や慰謝料、訴訟費用などを補償する「雇用慣行賠償責任保険」を大手損保などが販売しています。
大手損保4社によると、この保険への加入が4年で倍増し、2022年3月末には9万件に達したというのです*1

背景にあるのは「パワハラ防止法(改正・労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律)」の中小企業への適用です。それまでは大企業のみが義務化の対象でしたが、中小企業も違反した場合は指導や勧告の対象になったことで、保険への加入増加はハラスメントに対する中小企業の意識が高まっていることの現れと言えます。

また、法律上ハラスメント相談窓口に関する規定も明記されているため窓口を設置した、あるいは設置を急いでいる企業もあることでしょうが、じつは窓口を設置すれば対策として成立するというわけではありません。

体制ではなく「対応の悪さ」が議論の対象になった裁判が過去にはあります。

「思い込み」での対応が問題に

平成22年に、東京地裁でセクハラをめぐる裁判がありました*2

被害女性A、加害者X1、加害者の上司であり総務部副部長X2という人物が登場します。

実際の出来事は勤務後にAさんとX1と同僚2人が居酒屋で食事をしたときのことで、その帰り道にタクシーの車内で、X1がAさんのスカートの右裾部分を下着が露出する状態まで引き上げたというものです。

その後Aさんは、X1の上司であり総務部副部長であるX2にセクハラであると被害申告をしたところ、副部長はその日の夕方にX1から1時間半程度の事情聴取を行いました。

ここまでは適切な対応と言えるでしょう。

しかし問題はその先です。

X1は、Aさんが帰宅途中に酩酊のために駅構内で嘔吐しており、スカートの件についても、タクシーの座席シートにAさんの吐瀉物がつかないようにするためだったと主張しています。副部長はこの主張をAさんに伝え、取締役会でもX1の説明をもとに本件はセクハラ行為にあたらないと報告、Aさんに対してもセクハラ行為だというのはAさんの勘違いであり、この件についてこれ以上問題にしないよう発言するなどしていました。

あってはならないことですが、よくある光景ではないでしょうか。

そこでAさんは労働組合に相談しました。そして団体交渉でこの件が取り上げられたことで会社の代表者がはじめて事案について知ることになります。そこで別の取締役に改めて調査させたところ、X1の主張に矛盾が生じ、被害が事実であったという判断に至りました。

しかしAさんは退職してしまいました。会社はAさんと示談を進め、加害者X1が慰謝料を支払うこと、会社代表が面談し謝罪するなどの対応を講じ、その上で加害者X1と、最初に対応した副部長X2に降格等の懲戒処分を行っています。

さて、この降格をめぐってまた騒動が発生してしまいます。
降格された2人が、この処分は無効だと主張して訴えを起こしたのです。

従業員の半数が「会社は何もしなかった」

結果的に東京地裁は、降格された2人の訴えは無効(=降格処分は有効)だとして棄却しました。
しかしこの裁判を通じて担当者が意識したいのは「最初の対応のまずさが事を大きくした」という点です。

じつは、ハラスメントについての企業に対する従業員の信頼は高くありません。

厚生労働省の調査によると、「あなたの勤務先はハラスメントを受けている(または可能性がある)ことを知った後で、どのような対応をしましたか」という質問に対し、パワハラについては「特に何もしなかった」と従業員の半数が答えています(図表1)。

図表1:パワハラ・セクハラに対する勤務先の対応

2020年の調査結果とはいえ、これは好ましい状況とは言えません。また、パワハラ・セクハラを受けていると認識した後、訴え出た側に「事実確認のためのヒアリングを行った」は、パワハラで21.4%、セクハラで24.4%と低い水準にとどまっています。
上に紹介した訴訟と同じケースになりかねません。

企業にとってハラスメント予防・解決にあたっての最大の課題になっているのは、「ハラスメントかどうかの判断が難しい」ことです。(図表2)

図表2:ハラスメント予防・解決の取り組みにあたっての課題

また、発生状況を把握することが困難、との意見もあります。
この課題を乗り越えるには、社内だけでなく社外にも相談窓口を設けるのが良いでしょう。外部の法律事務所などを介入させることで、客観的な判断につながります。

前出の裁判の場合、社外ではありませんが、最初に相談を受けた副部長と異なる取締役が改めて調査したことで加害者側の主張に整合性がないことが明らかになっています。 少なくとも、事実関係の調査は複数の視点から行う必要があるでしょう。

信頼される相談体制を目指して

ハラスメントやその対応についての視線は厳しくなっています。SNSでの告発は防げないものになっているほか、被害者が退職してしまうという、企業にとっては人的な損失も発生します。

何よりも、従業員に「所詮はもみ消される」という意識が植え付けられる体制はよくありません。
ハラスメントは受けた側の印象の問題、ともよく言われますが、会社に対する不信感が高ければ、「受けた側の印象」も違ってきます。対応が不十分だったという情報も、従業員の間に広がってしまうことでしょう。

それよりも「こんな良い対応をしてくれた」となるような体制づくりが急務だといえます。

この記事を書いた人

清水沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。