2023年3月期以降の決算から、上場企業には「人的資本」に関する情報開示が義務付けられます。人材への投資や育成の現状を有価証券報告書などで開示するというルールです。 人材は企業に付加価値を与える資本である、と捉える「人的資本」という考え方ですが、その状況を報告せよ、と言われても、想像のつきにくいことでしょう。
ただ、投資家などが財務情報だけでなく、企業の人材投資状況や人事といった非財務情報に高い関心を抱いているのも事実です。
また、企業が「人」に対してどのような対応をしているかは、企業のブランドを左右するものでもあります。
では具体的に、何をどう開示すれば良いのでしょうか。いくつかの事例を示していきます。
「人的資本」への注目度
投資家の関心といえば、投資先企業の財務状況かと思われがちです。
しかし、変化が起きつつあります。
実はこのところ、株主総会での質問内容が変化しているのです(図1)。
「リストラ・人事・労務」に関する質問が順位を上げていることがわかります。 件数ベースでみると、人事や労務に関する質問は急増しつつあり、人事・労務に関する質問があった企業は10年で2倍に増えていることもわかっています(図2)。
人事・労務に関する情報は、それほど投資家の注目を集めるようになっているのです。
内閣官房は、「人的資本の可視化」について、このような見解を示しています。
これまで、自社の人的資本への投資は、財務会計上その太宗が費用として処理されることから、短期的には利益を押し下げ、資本効率を低下させるものとしてみなされがちであった。そのため、企業による資本効率向上のための努力が重ねられる中、足下の利益を確保するために人的資本への投資は抑制されたり、後回しにされやすい構造にあった。
(中略)
しかし、企業の競争優位の源泉や持続的な企業価値向上の推進力が、無形資産(人的資本や知的資本の量や質、ビジネスモデル等)にあるとの認識が広がる中、人的資本への投資は、競合他社に対する参入障壁を高め、競争優位を形成する中核要素であり、成長や企業価値向上に直結する戦略投資であるとの認識が、企業のみならず、投資家においても広がりつつある。
そして実際、投資家へのアンケート調査では、企業が実施している以上に「人的資本に関する開示」を求めています。主な項目は下のようになっています(図3)。
投資家は人的資本に関して、企業の実際の開示状況よりもはるかに多くの情報を求めているのです。
人的資本に関する情報開示の世界指針「ISO30414」
では、どのような形で「人的資本」の指標を開示していけばよいのでしょうか。
実は、人的資本に関する情報開示の指針として、国際基準がすでに存在しています。
2018年に国際標準化機構(ISO)が発表した「ISO30414」です。
このガイドラインでは、以下の領域に関する指標を定めています(図4)。
では、ISO30414認証取得企業の例を見てみましょう。
アジアで2社目にISO20414認証取得〜豊田通商
国内では、トヨタグループの豊田通商がアジアで2社目にISO30414の認証を取得し、「Human Capital Report 2022」として公開しています*1。
人材に関する情報だけを35ページに渡って紹介したこのレポートでは、さまざまな数字が公表されています。例えば研修に関しては以下のようにまとめられています(図5)。
それだけでなく、労災に関する数字、残業時間、人的資本のROI(=経常利益をコストで割ったもの)、従業員一人当たりの利益、などさまざまなデータも公表しています*2。
また、ISO30414取得により、このようなメリットもあったといいます。
ISO30414で大企業に開示推奨された指標を開示しましたが、全てが立派な数字というわけではありません。むしろ、まだできていない点を自分たちで把握できたという意義があります。今回は日本単体で取得しましたが、次にグローバルでどう取り組んでいけばよいかも見えてきました。
「できていない点」を把握できたというのも、また利点なのです。
独自指標、目標の明示という形も
野村総研は従業員のやりがいを数値化した「成長実感」指数を独自の指標として公表する予定としているほか*3、味の素グループは統合報告書の中で、「従業員エンゲージメントスコア」の目標値と実績値を公表しています4。
また、ユニークなものとしては人材コンサルティング企業のリンクアンドモチベーショングループがあります。この企業の「Human Capital Report」では、経営陣のスキルについて下のように開示しています(図6)。
経営陣の専門性の分布が一目でわかるようにしているのです。
人的資本は「企業の持続可能性」にも寄与する
人的資本に関する情報が求められる理由のひとつは、企業の持続可能性を測る基準にもなるからだと筆者は考えます。
これまでは財務指標が企業の先行きを占うものとして注目されてきましたが、資金と同様に「競争力のある人材戦略」がなければ、企業の存続は不可能なものになってしまうからです。 特に経営陣がどのようなスキルを持っているか、優秀な中核人材の確保ができているかどうかは、今後の競争の中で企業が生き残っていけるかどうかの分かれ目になります。
いくら資金があっても、今後の競争力がなければ企業としての存続可能性は不透明であり、その資金を将来を担う人材に投資できているかどうかも同様に重要だというわけです。
人的資本に関する情報の開示は、改めて社内の人事線略や現状を確認するだけでなく、現在の人事制度についても考える良いきっかけになることでしょう。
*1:豊田通商がアジア2社目のISO30414認証取得、『人の豊通』を目指す人的資本経営とは|日経BP
*2:Human Capital Report 2022|豊田通商 p32,p33
*3:「人的資本」の開示スタート 企業も独自指標などで工夫|日本経済新聞