「適性のない上司」はなぜ生まれるのか

世の中には、「上司に向いていない上司」が少なからずいるものです。 しかし年功序列が色濃い日本ではこうした状況の改善がなかなか難しいという企業も多いことでしょう。

適正のない人が上司になり、部下が不満を抱え続ける。 これでは生産的に組織が回るとは思えません。

解決方法はあるのでしょうか。興味深い実験結果とともに考えてみたいと思います。

管理職の男女比率に関する考察

心理学者のトマス・チャモロ=プレミュジックが、企業における時間離職の男女比率の偏りについての興味深いコラムを「ハーバード・ビジネス・レビュー」に寄稿しています。

結論から言うと、プレミュジック氏は管理職の男女比率がアンバランスになっている原因をこのように述べています。

私の考えでは、管理職に占める男女比率がバランスを欠いている主な原因は、私たちが「自信」と「能力」を区別できないことにある。つまり、我々人間は一般に、自信がありそうな人を見ると能力があると間違った判断をしてしまうために、男性は女性よりリーダーに向いていると思い込んでいるのだ。

<引用:「ハーバード・ビジネス・レビュー」2022年6月号 p90>

一方で、26の文化から2万3000人以上の参加者を集めた調査では、女性は男性より「センシティブで思いやりがあり、謙虚であるという結果を紹介しています*1。 また、40か国のさまざまな産業部門から何千人ものマネジャーを抽出して調べたところ、男性は常に女性より傲慢で、操作的で、リスクを冒す傾向にあることが判明したといいます*2

しかし、男性のこうした性質が逆にリーダーを生むというのです。プレミュジック氏はフロイトの言を借りてこのように主張しています。

ジグムント・フロイトも、リーダーを生む心理的プロセスは人々(フォロワー)が自分たちのナルシシズム的傾向をリーダーの中に読み取る時に生じる、と論じている。 リーダーに対するフォロワーの愛は偽装された自己愛であり、自分を愛せない人々がおのれを愛する代わりにリーダーを愛するのだ。 「自分の一部を放棄している人は、他者のナルシシズムに強く引かれる。満たされた心理状態を維持できる人々をうらやんでいるかのようだ」

<引用:「ハーバード・ビジネス・レビュー」2022年6月号 p90、下線は筆者加筆>

日本語には「虎の威を借る狐」ということわざがあります。実際そのような人は組織の中にも存在しています。 上記の心理傾向は、このことわざが意味するものに少し似ています。「自分を愛せない」「自分の一部を放棄している」人々は、常に「虎」の存在を探しているのです。例えそれが虎の自信過剰であったとしても、ネガティブな自分を虎という盾で隠して満足を装っている(偽装された自己愛)、と言い換えることもできるでしょう。

これが冒頭に紹介した「私たちが『自信』と『能力』を区別できない」という状況です。 フォロワーがその人の「自信」に惑わされて選んだリーダーは、必ずしも「能力」を持ち合わせているわけではない、という現実があるのです。

心理プロセスとは裏腹な「上司へのお願い」のギャップ

上記のような心理プロセスで成り立っているリーダーがかならずしも上司の能力を持ち合わせているわけではない、という事実の一端が、あるアンケート調査にさっそく表れています。

リクルートマネジメントソリューションズが新入社員を対象に「上司に期待すること」を聞いたところ、このような結果が得られています(図1)。

図1:新入社員が上司に期待すること

<出所:「2020年新入社員意識調査」リクルートマネジメントソリューションズ>

10年前との比較で顕著なのは、「言うべきことは言い、厳しく指導すること」「周囲を引っ張るリーダーシップ」に対する期待は大幅に下がっている点です。 この2つはプレミュジック氏が言うところの「傲慢」「操作的」と紙一重です。そうした気質が若者から支持されるのは、すっかり過去の話になっているのです。

逆に、上司に期待されているのは「一人ひとりに対して丁寧に指導すること」「よいこと・よい仕事を褒めること」となっています。これは謙虚さを持ち合わせた上司でないとできないことでもあるでしょう。

上司として部下から信頼を得られない「不向きな上司」とは、プレミュジック氏が指摘する心理プロセスと現代の若者が望むことのギャップからどんどん生まれていくのです。

「ホーソン実験」にみる「理想の上司」

さて、上司と部下の関係性のもうひとつの側面についてご紹介したいと思います。

過去に、労働者の感情とリーダーとの関係についての実験が行われています。
アメリカのウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で実施されたことから「ホーソン実験」と名付けられています。

1900年代前半のことではありますが、5年間にも渡って実施されたという規模感が持つ説得力もあり、今なおマネジメントの参考にされています。

そのうちのひとつである「バンク捲線観察実験室」では、異なる性質を持つリーダー3人をそれぞれ別の現場の監督にあてた時の労働者の心理が観察されました*3。

3人のリーダーの特性はこのようなものです。

  • 主任A=自分が部下であったときと同様に労働者に接した
  • 監督B=グループの上にただ乗っかっている、歳の離れた年配者
  • 課長C=同じ地位に長年とどまっており、部下たちはCがどんな地位でどんな仕事を持っている人なのかわからない

さて、この3つのグループでの労働者の反応は以下のようなものでした。

  • 主任Aのグループ=労働者は「彼は部下の事をよく知っている」「彼は公平で公明正大な 人だ」「彼は自分がどんな苦労をしてでも、他の人が十分に仕事がしやすくなるように努めてくれる」とAを歓迎
  • 監督Bのグループ=Bは部下の利害や心情とかけはなれすぎており、労働者はBに信頼を寄せるどころか、敵対心を抱いた。
  • 課長Cのグループ=作業員たちは向上心を失い身勝手になった。

主任Aが好感を持たれそうであることは最初から想像がつきますが、これらの結果は別のことも示唆しています。リーダーが「どんな肩書きであるか」「どんな年齢であるか」ではなく、「この人がリーダーであることに部下が納得できるかどうか」が重要であるということなのです。

年功序列の色が濃い日本企業にはBやCのような上司が多く存在しているのではないでしょうか。

リーダーは何のために存在するのか

言うまでもなく、リーダーは「組織を円滑にまわす」ために存在すべきものです。
自分のナルシシズムや自信過剰を披露するのがリーダーの仕事ではありません。

もちろん、冒頭にご紹介したような心理プロセスがある以上、なんとなく組織は動くかもしれませんが、そこにいるのは「自分を愛せない」「自分の一部を放棄している」人々なのです。自主性を大きく損ねてしまいます。

プレミュジック氏の指摘にあるように、「自信」と「能力」を切り分けてリーダーを選ぶことができるか。今一度そのような視線で組織を眺めてみるのはいかがでしょうか。

この記事を書いた人

清水沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元に関連メディアに寄稿。

*1:「ハーバード・ビジネス・レビュー」2022年6月号 p90-91

*2:ホーソン実験」藤原元一訳